2015年05月19日

「パレードへようこそ」で見る80年代英国の一面

 どうも久々に映画なぞを見て来た狐です。
 以前に映画を観たのは、はて何時だったか、と思えるほどのものではありますが今回観てきましたのは「パレードへようこそ」( http://www.cetera.co.jp/pride/ )。
 2014年に英国にて制作された映画であり、原題は「PRIDE」。そう、ふと察せられる人もいるかとは思いますが、ゲイやレズと言った同性愛をテーマの一つとしている映画でもあります。

 とは言え、それだけならとても観には行かないでしょう。何故わざわざ観たのか?となれば、それはこの映画がサッチャー政権下での英国を描写していたから、となり、更に加えるならばゲイやレズ、いわゆるLGBTと称される近年になってその存在が大きく、広く知られ、また認識されるようになった「若い」流れにいる人々と、炭鉱労働者、即ち長らくに渡って社会や経済を支える根底足る資源「石炭」を掘り出すのに従事してきた「古い」流れにいる人々のつながりを描いた、その点に非常に興味深かったから、となります。
 かつ、それが実話をもとにしたものである、そこが特にポイントとなったと出来るでしょう。全く違うカルチャーの中にある彼らがどうして結びついたのか、これは是非とも観なければ、となった訳です。ちなみに知ったきっかけはしばらく前の東京新聞夕刊であったかと思います、通勤電車の中で何気なく読んだ記事であったものでした。

 舞台は1984年、日本はバブルに向かって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とすら評されていた絶頂期。対して、西の島国たるかつて世界を制覇した英国は「英国病」と称される長期的な停滞の中にありました。
 そこに現れたサッチャー保守党政権の下、後にサッチャリズムと呼ばれる民営化や政府の関与(規制)の縮小を基軸とした新自由主義政策の下で揺れ動いていたものでした。
 その象徴的な光景として取り上げられるのが、国有化されていた諸産業の労働組合により展開されていたストライキでしょう。
 特に有名なのが国有自動車会社ブリティッシュ・レイランドの組合によるものと、全英の炭鉱労働者組合によるものですが、「パレードへようこそ」で取り上げられているのは前述した通り、その後者であって、その姿は第二次世界大戦後のカルチャーのひとつとも言えるLGBTと比べると全く対照的であり、およそ、ただ、そのままではとても結びつくとは思えない限りでしょう。
 しかし、この2つの存在はLGBTのある若者が「両者ともサッチャー政権の政策(LGBTに対しては英国の伝統的な価値観の維持、炭鉱労働者に対しては合理化を主題とした新自由主義政策)によって圧迫されている!」と気付いた事、それがきっかけとなって、そしてふとした勘違いがきっかけとなって一気に結びつきます。

 とは言え、それはその時点ではそれぞれの全体の合意に基づいたものではなく、半ば勢いに近いものでありましたが、一度動き出したが故に危うさを秘めつつも話はどんどん広がっていきます。
 それ故に引き起こされた様々な人間模様の交錯や対立、更に共に対峙している政権側の政策の進行、何より社会からの視線。それ等によるつながりの動揺―即ち秘められていた危うさの露呈―と流れとしてはある意味、矢張り、と言えてしまえますがそれらのシーンが一つ一つ、やや断片的でありながらつながりを持ってテンポ良く描かれているのには何とも惹き込まれてしまう事、頻りであったとしか言えません。
 そしてそこから生まれた変化は「バタフライ効果」ここにあり、と言えてしまえる好例ですらあるでしょう。

 同時に感じたのは圧倒的に多数、と感じている事が実はそうではないのかも知れない、との事でしょう。また当然と言えば当然なのですが、センセーショナルに描かれる、報じられる内容を人間は信じやすく、更に信じるだけならともかくそれを鵜呑みにして周囲に広めようとしてしまう。
 その模様は昨今の日本でも良く見られる現象だけに、取り上げられるテーマこそ違えど、遠くの出来事を見ている心地ではとてもいられない。まるで我が事の様にも捉えられてしまったものです。
 そうした展開以外でも作中に現れる様々な小道具や建物、衣装などは当時の、80年代の空気を何とも伝えていた点も見どころ。例えば、移動している途中では連絡が取れない、これはあるワンシーンとなりますが、それすら今や「有り得ない」経験とすら一般にはなってるでしょう。ふと新鮮とすら見えてしまえます。
 対して21世紀となっても英国の街並みは、サッチャー・メージャー保守党政権後、「クール・ブリタニア」「第三の道」を掲げて、一定の復活を推し進めたブレア労働党政権、と様々な流れを経た後でもあまり変わっていない事にも、かつて旅した時の記憶を被せては気付いてしまったものでした。

 そんな具合で色々と盛り沢山な「パレードへようこそ」。テーマがテーマなだけに明確な同性愛的な表現が時折ありますので、そうした点が苦手な人は厳しいかもしれませんが、サッチャー政権下での英国の世相と文化に触れるには大変良い作品であると思えてなりません。
posted by 冬風 狐 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

「狐神楽」と「犬走椛」から生じたる今

 どうもしばらく前の事になりますがmixiへの課金(mixi premium)を止めた狐です。
 月々数百円単位の課金でありましたが、正直な所、利用開始と比べるとmixiの利用頻度(ログインするとしても数ヶ月に一度程度)が大幅に低下した上、課金するに見合うサービスが提供されてるとは感じられなかったので解約した、との次第。
 殆どログインしていないのだからどんなサービスがある分かる訳がない、との側面も一部ではあるのですがざっと見て、ああ、と判断してしまえる程度しか見当たらなかったのもまた一面。
 とにかく言えるのはアカウント削除こそしないものの、かつてはメインで使い、またある意味、課金するだけの価値があると見出していた華型サービスであったmixiも今や、私の中ではすっかり過去のものになってしまった、それだけは確実であるのみでしょう。
 兎にも角にもこうした経験をしてしまうと、今メインで使っているTwitterとて数年後にはどう、自らの中で評価しているのたろうか、と浮かべると中々に怖いものを感じられてならないところです。

 さてもう1週間以上前の話になるのですが、久々にある場所へと足を運んで参りました。
 そこは浅草は吉原。かつて属していた狐を主題とした神楽を行う集団「狐神楽」が関わったイベントが行われていた為でして、近隣に用事があった流れもあり、挨拶にうかがった次第でした。
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 なお2014年4月現在では「狐神楽」ではなく「吉原狐社中」( http://yoshiwara-kitsune.jimdo.com/ )が正式名となっておりますが、私自身が「風麿」との名前にて加わっていたのは、その前身である「王子装束榎 狐神楽」の時期でありますので、この記事においては「狐神楽」と称させて頂きます。

 正直な所、私にとって「狐神楽」の存在は大きなものであるのは今でも変わりません。
 当時、数年来抱えておりました健康上、あるいは経済的な問題をようやく乗り越えたものの、すっかり疲弊していた自らに新たな世界を見せてくれた、また触れさせてくれたのが「狐神楽」と当時、主として関わっていた王子の装束稲荷にて行われていた縁日「榎市」(榎市自体は現在も行われています)を通じての様々な経験であったのは大いに肯定出来るところです。
 最もその後、その中を通じて知り合ったとある相手の引き起こした種々の問題に新たに悩まされたのも一面であり、様々な思いが相まじっていた中で私としての一区切りつけるべく、「狐神楽」からの離脱を申し出たのが東日本大震災が起きた年の事。その後は色々と新たな変化があり、ようやく落ち着いたので、との思いも抱いての足取りであったものでした。

 当日はまず向かった別の東方系イベントを一旦抜けた後、別の用事を幾らかこなしたところで吉原へ。さっと降り出した雨に一瞬、見合わせようかと浮かんだものの、ふと見ている間に雨が止んだものですから、これは行くしかない、とTX浅草駅よりおよそ1年ぶりに歩む吉原への道。その間、街路樹として植えられた葉桜で賑わう街路は中々によろしく、気持ちを整理するのに役立ったところでありました。
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 その後、吉原の一角に到着すれば、そこにある吉原神社と弁天さんにお参りをまずは済ませた後、その間に広がる公園へと向かいます。その公園こそ今回、「狐神楽」の関わっているイベント「狐楽市」の行われている場所であり、時間帯こそやや遅かったので大分静かにはなっていましたが、それなりの人の姿と幾らかの張られたテントの内のひとつに久々に見かける「狐神楽」の一団の姿がありました。
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 その場での詳細については詳述を避けますが結果として、少なくとも私としては久々に挨拶ないしやり取りを交わせた事はありがたいものであった、と言えるでしょう。矢張り直接でないと本当の意味での近況とはうかがいにくくありますし、当時とはまた色々と変わったもまたどこかでは変わらないノリのある「狐神楽」の今の把握と共に、こちらの近況もある程度話せたのは本当に幸いであったと感じる限りです。
 なおその場で頂けたビールはその後再び戻りました東方イベントにて、差し入れた相手より好評頂いた事も触れておきたく思います。プレミアムモルツの威力は何ともすごいものなのでしょうか、日本酒・焼酎党の、かつて「狐神楽」では「風麿」の名前を頂いていた身ではありますが感心してしまったものです。
 
 ちなみに余談となりますが私が、東方コスを始めるきっかけのひとつが「狐神楽」であるのにも触れておきましょう。
 直接的なきっかけは名古屋迷物の玄人向け喫茶店「マウンテン」にて食事を摂っていた際、東方コスをまとった一団が来店し、その中にいたあるキャラクター、そう白狼天狗の「犬走椛」の姿に注目してしまったのが発端であるのですが、ただ好ましいキャラクターとして椛を見るのではなく、その場でコスをしたい、との気持ちを生み出し、更に後押ししたのは「狐神楽」での経験でありました。
 具体的に書くならそれは装束稲荷の神楽殿にて、練習とは言え人前で神楽の小太鼓を叩いていた事、また狐神楽を舞うメンバーの姿を見ていた、また撮影などを通じてサポートしていた故、と出来ます。
 それ等こそ前述した「新たな世界」の最たるものでありました。人前で、あるいは人に対して、自らのそうした気持ちを行動に示す事へのハードルの低さ、また羨ましさを抱けていたところで東方コスと出会ってしまった訳で、故に私にとって「狐神楽」は「犬走椛」と共に東方と言う新たな分野に乗り込む、抵抗する気持ちを乗り越えさせるきっかけを私に与えてくれた重要な存在なのです。

 最近は多忙故に自宅等で時折、コス飲みをする程度しかコスも出来てはおりませんし、主としてするコスも犬走椛から九尾狐の八雲藍や鴉天狗の姫海棠はたて、ニホンオオカミ女の今泉影狼、また秋姉妹へとシフトしてしまっておりますが、その辺りの経緯に対する思いは年月が経れば経るほど強くなっていく、そんな気がしてしまいます。
 現状ではコスはともかく、狐神楽については時間的な余裕の無さから再び活動しようとしてもと会面は叶わないのが残念であるだけに、今回、再び接する機会を得られたのは本当に貴重なものです。
 今後はこれを機として、折を見て「狐神楽」の関わるイベントに足を運びたいもの。更にそれから新たに得られた東方においても、今後とも小説同人ないしコス、または関係する神社めぐり等の活動を、以前からしているお稲荷さん巡りと共にしっかりと続けていきたいものだと、思いを新たにしてしまった風麿ないし冬風 狐でありました。

 写真は全て2014年4月6日に撮影。
posted by 冬風 狐 at 04:18| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

「初午」に惹かれて「昔のくらしと年中行事」を見る

 どうも久々に下道でのんびりとドライブをしていた狐です。
 具体的には横浜付近から往路は大井松田インターまで246号線を走り、御殿場インターまでは足柄SAで一休みする目的も兼ねて東名利用。その後、足柄SAでの休息を経てから御殿場インターより御殿場線に沿って関東平野に戻り、また246号線を戻る、そんな単純な行程ではありましたが良い気分転換になったもの。
 道路工事の関係で伊勢原市内で少し渋滞があった以外は空いており、正に快適。更に雨も上がってのいたものですから、夜の御殿場線沿いの旧道もこう、昔から馴染みのある山梨の道だとかを思い起こされて、どこか気に入ってしまったところでした。

 さて、その日の昼間は久々に博物館へと足を向けていました。
 向かったのは横浜市都筑区、いわゆる港北ニュータウンの一角にある横浜市歴史博物館( http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/ )でして、横浜市営地下鉄センター北駅とセンター南駅のどちらからもアクセスしやすい場所にあります。
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 今回は仕事上がりで空腹でもありましたので、まずはセンター南駅で朝食も兼ねて久々にマックのポテト―それも朝マックが終わると共に注文したのでカリカリでいい塩加減の美味しい物―を食べて一休み。
 その後、センター南駅とセンター北駅の間の市営地下鉄高架線の間の空間を利用して作られた「みなきたウォーク」なる歩行空間を雨の中のんびりと歩いて博物館へ。
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 なおこの歩行空間、途中で地下鉄の高架線に等しい高さまで上がる等、思っていたよりも高低差のある道であり、ただの平坦な道を想定していた私としては中々の意外な所でありました。
 それ故に通過していく地下鉄の姿も良く見えるものでして、結果として第三軌条大型規格で作られたブルーラインと架空線式小型リニア規格で作られたグリーンラインが見比べられるのは、どちらも一定のコストカットを、建設されたその時代に可能な技術を用いて行った実例として中々貴重なものかもしれません。

 そんな訳で到着した、位置としてはセンター北駅の方が近い横浜市歴史博物館は、小学生の団体と思しき姿が、入って間もなくは騒がしかった他は静かな物でして、平日の疎らな来館者の中の1人となって目的である企画展「昔のくらしと年中行事―ちょっとむかしのよこはま―」を1時間近くかけてたっぷりと眺められたものでした。
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 内容としてはいわゆる家庭だとか地域において行われていた年中行事を、横浜を中心に振り返る、と言ったものでして旧暦と新暦による、以前と以後の比較に始まり、毎月ごとにそれぞれ紹介していくと言った趣向。
 「講」は「無尽」と共に山梨だとかでは今でも一定の力のあるところはありますが、かつて横浜市内でも各地にみられていた事と共に、ただ年中行事として見るのではなく、その背景として「講」の存在と絡めて展示と紹介がされていたのは中々見どころでした。
 確かに一般的には年中行事はあくまでもその行事その物、として見てしまい接してしまうものですが、実際にはその年中行事を伝えてきた「人」の存在が無ければ、それ等は「年中行事」として成り立つ事はなかった次第。その、ふと忘れがちなその側面をしっかりとクローズアップしていたのは大いに良いと思いますし、それだけでかなり見に来て良かった、と感じられたものです。

 また狐ないし稲荷好きとしては、2月の年中行事として「稲荷の初午」をそれなりにスペースを割いて紹介していたのも見どころでありました。なお、「初午のお稲荷さま」としてポスターにイラストの掲載があった故に、足を運んだのは少なくとも一因としてあった、と触れておきたく思います。
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 少なくとも昨今では初午はそう一般的なものではありません、しかしながらその行事がかつての旧暦においては春の始まりを告げる行事であり、豊穣神たる稲荷の大祭とも相俟って各地で祝われていた事実、それに触れられる事は大切な事でありますし、各地にいる稲荷神社そのものに対する理解にもつながるのではないかと思えます。
 また会場では昭和61年の旧家における稲荷の初午を祝う一部始終が収められた、個人撮影のビデオが流されており、家のやり方を考慮するとしてもどういった具合でそうした、いわゆる「屋敷稲荷」が祭られているのか、祭っていたのか、の一端を見るにはまたとないものでした。
 加えて今のあざみ野駅近くに、こちらは今でもあるお稲荷さん(赤田稲荷)ではありますが、その初午を祝っている農村風景の傍らを、沿線の宅地開発を目的として敷設された東急田園都市線の通勤電車が通過していく写真も、そうした時代を知るには最高の資料であるでしょう。
 他にも横浜市の本牧地区で行われていた「スナモリ」なる砂で作った塚の上に、貝を載せてお盆の際に亡くなった祖先を家に呼ぶ目印を作るだとか、これまで知らなかった地域的な風習は興味深いもの。
 要は迎え火と性質は同じであろう、とは感じるのですが迎え火が火を用いる性質上、その時だけしかないのに対し、砂と貝を用いて作られる「スナモリ」はある種の恒久さがありますから、その辺りでどうした感覚の違いがあるのか、海とは縁遠い山育ちの身としては尚更関心を抱けてしまいます。

 それ以外にも土地の神様たる地神と地神講、また念仏講、そして今もある大山講と言った横浜市域に何がしかの関わりのある信仰と講に関する展示もそれぞれ見やすく、特にどんな姿を地神に対して人々がイメージとして抱いていたのか、その姿の得られた掛け軸等より見れたのは、新たな観点として得られた収穫であったでしょう。
 また講が開かれる場合に記されてきた、要した費用にかかる帳簿の中身からは、地域において個人商店が中心であった時代から、コンビニだとかの新たな業態が中心となっていく、そんな時代の変遷も垣間見られたものです。
 
 全体としては良い構成であり、知るきっかけとしてまた改めて振り返る機会としてはオススメであると思います。最も、会期は今月の23日までともうわずかで終わってしまいますから、もし見に行かれるのであればすぐに行かねばならないでしょう。
 また館内の売店では3月30日まで、博物館がこれまでに出した目録や書籍の一部が半額で頒布もされているとの事なので、地域史だとか民俗系に関して興味がある人は、こちらも合わせて見に行かれると何か収穫があるかもしれません。 
 ちなみに私は以前に行われた企画展に関連して出されたと思しき「横浜の神代神楽―神楽師たちの近世・近代―」をひとまず入手した次第です。

 写真は全て2014年3月20日撮影。
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2012年09月24日

国家人民軍(東ドイツ軍)の背嚢を買ってみた

 どうも今日は雨の中、あれやこれやと用事をこなしていた狐です。

 今回はどうにも行く先々で雨が強く、何ともと思っていましたが幸いにして午後に都内に戻りますと、かなり小康状態になっていましたので、オフ会をしていましたハクトさんやハムさん等と合流し、喫茶店で東方やら歴史やら軍事やら、色々と織り交ぜた雑談に興じていたものでありました。
 その後は雨がすっかり止みましたので再び外に繰り出し、岩本町よりぶらぶらと御徒町まで歩いて向かったのはアメ横の中田商店。軍事系の衣服やら道具で有名なショップですのでご存知の方もおられるかとは思いますが、話には聞いていたものの、実際に訪れたのは初めての事でした。
 前述した通り、喫茶店でのやり取りの中で軍事ネタで盛り上がった故の探訪でして、置かれている品々の多くは米軍を中心とした西側諸国のものなのですが、私の大好きな国家人民軍(NVA)、即ち東ドイツ軍の品々もそれなりにあるとの事で案内してもらった、との側面も多分にあります。

 早速入るとそこには米軍の物に混じって人民海軍の制服が、更に陸軍の士官服に至っては複数ありまして、思わず「おぉっ」と小さく声を漏らしてしまったものでした。
 それ以外では水筒やモール、また階級章、腕章がその付近で見られたものでしたが、まだその時点では参考としてみておく程度に考えていたものでした。
 故に米軍のベルト等を見ているハムさん等を尻目に他のコーナーを見ていますと、ふと見た先に東ドイツの文字がまた出現。一体何かと思って見たらあったのが、今回取り上げる背嚢であったのです。
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 背嚢の実物を見るのは初めてでしたので、これはこれは、との具合で手にとって見ますと手頃な大きさで実用性がありそうな様子。骨董品だとかそれ等にも言えるのですが、ただ飾っておくよりもある程度の有用性がある物がどうにも私の好みでありまして、その意味では何気なく背中に背負って使えそうなこの背嚢には大いに心を揺さぶられてしまった次第でした。
 値段を見れば800円とかなり安価、そうなれば試しに買ってみようかとなるのは必然でして、店を出る時にはその手には中田商店の茶色の紙袋が握られていたのでした。 
 写真は友人宅に戻ってからの撮影ですが、この地味な柄がまた好みなものです。今のところ、軍コスはしていないのでそう言う意味では使えませんが東方コスでも白狼天狗の椛(妖怪の山の自衛隊)や、ちょっとずれているでしょうが色的には豊穣神の穣子コスの時などに使えるかと思えてしまったものです。
 それ以外でも旅行時等に手を空けたい時に使えるかもしれません。ただ生憎、手に入ったのは後期型なので中がビニール張り、つまりとても強いビニール特有の臭いがこもっている事でしょうか。
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 少なくともこれをどうにかしないと、何か物を入れる、特に食品等は困難ですから本格的に実用するにはもう少し匂いを落としてからになろうかと思えているものです。

 と言う訳で今晩は友人宅に宿泊ですので、その部屋の片隅で読み終えた新聞を突っ込んで置く事にしましょう。
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 何故新聞を突っ込むのかと言えば、ある程度の脱臭効果、また除湿効果が期待出来るからでして当面は匂い対策に専念しつつ、活用方法を考えて行きたいと思います。

 写真は全て2012年9月23日撮影。
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2012年07月10日

「見せドイツ」参加と久々の田浦の廃線探訪、そして官邸前デモの観察

 どうも久々に田浦の専用線へと足を運んできた狐です。
 2010年の新緑の頃に足を運んで以来、すっかりご無沙汰ではありましたがTwitterにおけるフォロワーのハムさんが最近、廃線に興味を持たれたとの事なので案内がてらの訪問となりました。
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 詳細については別途、まとめたいと思いますが2年前とは色々と変わっている点が多かったものでした。ある意味では整ったとも言えますが廃線としての度合いは一層強まっておりましたし、今後どうなっていくのか改めて注目したく思えたものでした。

 さてその前日の6日の金曜日、かねてより楽しみにしておりましたトークイベント「見せドイツ」へと参加して参りました。
 当日は早めに都内へ入れたのですが、荷物を預けた後、折りしも金曜日ですから私の足は御茶ノ水駅にてJRを降りた後、神田川を渡って丸ノ内線に乗り込み到着したのは国会議事堂前駅。
 そう、以前より話題になっている金曜日の首相官邸前における反原発デモを、この機会だからとのんびりと観察していた事もあって、会場に到着したのは19時半過ぎとイベントが始まってからの事でした。
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 そんな具合なので代金を支払ってから、焼酎を一杯飲みつつ満員の会場の外に置かれたモニターを通じて観覧していた次第。

 最もそこではイスクラさんが出張店舗を開いておりましたし、ふと挨拶をした方と話が盛り上がりザンドマンやトラバントの話をしていたはずが、何時の間にか東ドイツは日本をどう見ていたのか、となりやがては日本のサブカルチャーの話となって、と中々に同人活動、またコスプレをしている身としては考えさせられる時間になったのは興味深いものでした。
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 最も話をしつつ見ていたトークイベント自体は笑いあり、何ありと大いに面白かったものですし、何とも充実していたのは言うまでもありません。

 イベントが終わった後は、司会をされていたハマザキカクさんとご挨拶した後、続けて開催された懇親会へ。イベント開始時間に遅れてきた事もありましたから、ある意味では私にとってこちらがメインとなった、と出来るかもしれません。
 当然ながらお酒を交えつつでありましたが、それは有意義な時間でありました。正直な所、事前に思っていたよりも濃いやり取りを交わす事が出来ましたし、以前からよく読んでいた書籍の著者の方と実際に話をする事が出来たのはそれは幸いとしか言えないものでありました。
 生憎、終電の時間もあったので日付の変わる前に中座する事になったのは少しばかり残念なものではありましたが、イベント自体、そして懇親会共に有意義な時間であったと出来るでしょう。
 そう言う点では本当、参加して良かったと出来るでしょう。主催された皆様にはこの場を以ってお礼申しあげたく思いますし、また次の開催があれば是非とも参加したいものです。

 写真は1から3枚目は20121年7月7日撮影の田浦駅付近の廃線の模様、以降は2012年7月6日撮影。4枚目は丸の内線御茶ノ水駅、5枚目は丸の内線国会議事堂前駅、6枚目は国会議事堂前駅付近でのデモの様子、7枚目は見せドイツの会場となったロフトAの入口となります。
posted by 冬風 狐 at 02:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月27日

知らない内に起きている「革命」の非現実さ

 どうも涼しくなったり暑くなったりがころころと変わるので、皮膚の状態がその日によって変わるのが悩ましい狐です。
 取り敢えず、どちらであっても湿気があるだけ冬よりも良いのですが、今夏も上手く対処していかねばと思ったものでした。

 さて今日取り上げるのは「革命」との言葉。
 最近、Twitterにていわゆる「反原発派」と称される方に複数のフォローを頂き、そのツイート等を見る中でよく見かけるので調べてみたところ、何でも現在の日本で起きている反原発運動、特にデモに関しては「紫陽花(あじさい)革命」であり、これは中東の「ジャスミン革命」と同じである、と擬えて着けられた名前であるようです。
 最もTwitter以外では見かけたことはありません。しかし類似する表現として確か「官邸前「アラブの春」」であったでしょうか、そんな見出しを掲げていた夕刊紙「ゲンダイ」を以前に駅の売店を利用した時に見かけたのを思い出しましたものでした。
 それ以外でも書店で色々と雑誌を暇つぶしも兼ねて読んでいた際に、左系の雑誌の中で矢張りデモに関して触れていて、そこでは「ツィッター革命」なる言葉があったのも恐らく通じているのでしょう。最も私は「反原発派」の人以外でこれ等に類する言葉を使っているのを、それ等に対する揶揄以外ではまずTwitter内で見かけた事がありません。
 これ等の「○○革命」にしてもまたデモにしても、Twitter、夕刊紙、そして左系の雑誌とそれぞれ一定の範囲でしか見られない(需要が無い)媒体を介しているのが特徴でしょう。
 よって個人的にはそれ等が書き立てているほど一般人、即ちネットは余りせず、一般的なテレビや新聞を通じて情報を得ている人達の間ではそもそも知られていないのではないか、と思っています。
 私もこれ等の情報を初めて知ったのはTwitterを通じてでありましたし、日常的かつそう言った「反原発派」の人のタイムラインに触れる事が無ければ、恐らく最近まで知る事は無かったでしょう。

 最も先日、6月25日付の東京新聞が1面にて「今どきのデモ でき方は 個人つながり2000人 ツイッターで黄色まとい総武線に」との見出しで船橋で行われた反原発デモが、Twitterを介して動員が呼びかけられて行われた、と報じた事で少なくともある程度、南関東を中心に認識は高まっているのかもしれません。
 そして「最近まで〜」と書いたのも、Twitter等で知らなかったら、私もこの報道が最初に知るきっかけになったろう、と思えたからです。
 ちなみにこの報道に先立つ前日だったでしょうか、矢張りTwitterにて「総武線の中で反原発派が好き放題していて迷惑」との旨と共に写真付きRT(リツイート)が回ってきたのを見ていましたので、一体何事かと思っていたのがようやくつながった、との展開も伴っていたのも触れておきましょう。ちなみにその写真は反原発を訴えるポスターを総武線の窓に押し付けて駅停車中にホームに示している、そんなものでした。
 なお、駅等に掲示されていますので見かけた事がある方はいるかと思いますが、鉄道用地ないし施設内でのこう言ったデモ的な行動は鉄道事業者、この場合はJRの許可を得ない限り禁止、とされています。よってその辺りはクリアしているのか、とも鉄道趣味をしている者としてはやや気がかりな点ではあります。

 私としてはこれ等の動きは余り望ましいとは思いません。確かに意思表示をする事は良い事ですし、こう言った行動が出来る事自体、ある意味では日本が民主主義国家で、自由が権利として保障されている証であると思えるからです。そもそも私がこう言う文章を書いているのもまたその1つでしょう。
 しかし対案が無い、あるいは漠然とした抽象的な自然エネルギーに頼れば良い程度の対案しかなく、東京新聞曰く
「『もういやだ』と心情を吐露している」
 だけで一体何の意味があるのかと思います。つまりそれは単なる心情、即ち感情の吐露であり、感情的な動きであるとしか言えないのではないでしょうか。

 長期的に見たら最終処分の問題が解決されない限り、延々とたまり続けていく高レベル放射性廃棄物の事を考えると原発は反対・賛成に関わらず、数十年後には完全に行き詰ると思えます。
 別に反対運動をせずともこのままでは困難になるのは既に見えています。そう、もんじゅと六ヶ所村再処理工場の不具合、何より再処理をしてもどうにもなら無い廃棄物の最終処理が解決すべき問題としてあるのですから。そしてこれは原発が今、すぐに全廃されたとしてもどうにかしなくてはならない問題であります。
 だからこそ私はあれだけの劇的な、即ち福島第一原発事故と言う衝撃によってどれだけ建設的、また長期的な論議がされるのかと期待していたのですが、結局賛成派・反対派の双方とも、従来型の賛成か反対かの二極化しかしていない事に強い失望感を感じています。
 よってその中で私なりに考えれば、これまでの数十年間に渡って作られてきた、原発を基幹に置いた現状の発電システムを急激に変化させるのは好ましい事ではない。
 ある程度、少なくとも東海地震の震源域にあり東名高速や東海道新幹線、また古い言葉を使えば太平洋ベルト地帯に影響を与える浜岡原発は論外ですが、それ以外の原発は必要な安全対策なり監視対策を施した上で、当面は稼動させるべきであると思えます。

 その上で今後の発電システム、ないし送電網の管理に関して新たな見通しを立てて、投資を行い、稼動させ切り替えていくのが一番安定しているものでしょう。少なくとも原発の出力の高さは大変魅力的でありますし、個々人の隅々まで電化が進んでいる現状では電力不足は真に致命的です。
 節電との目標を掲げたところで、現在のライフスタイルは電気を使う事が何に置いても前提なのですから、どこかで無理をしている事にしかならないと思える訳です。
 この点に関しては同じく6月25日付の上毛新聞が取り上げており、1面に掲載された「オピニオン1000」の中において「再生可能エネルギーの未来」としてこの問題が取り上げられています。
 その一部を引用するならば
「今の生活や社会構造をそのまま維持して、なおかつ再生エネルギーでなんとかしていこうという考え方はやめた方がいい。原発1基分をメガソーラーで補うとすれば千カ所も造らなければならないし、電気料金の大幅な値上げにもなる。いずれ破綻する日が来る。」
 との行があり、再生可能エネルギーを推進するならライフスタイル等も変革させなければならない、との論調で建設的でしょう。

 だからこそ私は「○○革命」との言葉は、賛成・反対の二極化による議論の停滞以上に好ましいとは思えません。これは単なる言葉遊びであり、議論が進んでいない、あるいは対案が示せない事に対する言葉遊び、あるいは自己満足の証であるとしか、傍から見て思えません。
 そもそも日本には伝統的に「言霊」の概念があります。つまり言葉には何らかの力がある、だからこそ丁寧かつ慎重に使わねばならないとの、ある意味では円滑なコミュニケーションの維持に対する先人達の知恵である、と考えています。
 そしてその様な中で育まれて来た日本語を使う私達は矢張りその影響を逃れる事は難しいものですし、革命との言葉は根本的な変化を短期間に行う、の意味であるのを考えれば、我々の生活の根幹を成している電力と言う重要な存在に関して論じる時には不適当な言葉であるとしかないでしょう。
 刺激的な言葉は逆に言えば、かつての新左翼もそうでしたが、独特な身内で通じる、また使っている当人達の気持ちを高揚させる効果のある言葉です。それを表に掲げる事で、やがて最終的には身内だけの「論理的」な運動に落ちて迷走する、その前兆の様にも感じてしまえたものでした。
 そしてそれは先に書いたTwitterでのRTもまた、既にこの運動が周囲に対して不快感や違和感を抱かせている、その一例であるとも見れます。かつての学生運動から社会が離れていったのも、そう言った内輪の言葉や論理の多用、そして他者に対する不寛容と視点の欠如による違和感や不信感、現実からの乖離であったのですから。
 その点では現状の反原発運動は動員手段がTwitter等の現在のテクノロジーを介したものに変わっただけで、本質は旧態然のままとの解釈も可能です。

 よって今、求められてるのは現実を踏まえた上での持続可能性のある転換とその議論なのではないでしょうか、急激な変革は先に引用した行の通り、何らかの歪をもたらします。そしてその重要性が高ければ高いほど、その歪の与える影響は大きなものになるでしょうし、回復困難になりかねません。
 原発以前に電力は我々の生活の根幹です、だからこそ「感情の吐露」ではない、しっかりと腰を落ち着けた行動こそ重要でしょう。騒ぐのは誰だって出来る事。しかし、論じて互いの意見を理解し、そしてある程度の不満は双方とも残るのは避けられませんが、尊重しあった上で合意した意見を作り具体的な投資を行えるのが我々ではないでしょうか。
 その行動に移すのに残された時間は、もう余り残されていないでしょう。だからこそただ対立だけを煽る、感情的な行動はもう沢山だ、と感じながらの考えでありました。
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2012年05月17日

スカイツリーにて様変わりする浅草・業平橋界隈のバス路線

 どうも気がつけば5月も後半に突入しつつあるのにしみじみとしてしまう狐です。
 取り敢えず同人活動については当面はサークル参加等は行いませんが、通販に関しては6月頭までには開始出来る見込みで調整していますので、今しばらくお待ち頂ければ幸いです。

 さて今月は月末に博麗神社例大祭がある他、個人的に色々と集まる等する機会がありまして、中々に多忙なのですが世間的にも5月5日の北海道電力泊原発停止による商業用原発の全停止やら何やらと、色々と事が続いているそんな具合である様に思います。
 そんな中で来週火曜日に、いよいよ東京スカイツリーを迎える事になります。
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 私にとってスカイツリーとは狐神楽に色々と関わっていた時に、浅草の街中よりふと見上げるとそこにそびえている、そして月が変わる毎に大なり小なり姿を変えている、中々面白い存在との印象が強いもの。また建設以前に存在した、業平橋駅の通勤時間帯専用ホームの跡地である事から、かつて存在したそのホームの姿をふと思い出してしまったりもします。
 既に東武鉄道が業平橋駅をとうきょうスカイツリー駅と改称する等、関係する交通機関においてもこの春頃から変化が見られていますが、5月22日の正式開業と同時に姿を変えるのはそれこそバス網であるかもしれません。
 現在、東京スカイツリーのある一帯には都バスが路線網を形成しており、都バス以外では東武バスウエストがスカイツリー建設の途中から休日を中心として「スカイツリーシャトル上野・浅草線」を運行している程度となっています。
 またスカイツリーのある業平橋駅付近は隅田川の東岸との事もあり、新橋駅まで延びている業10系統等を除けば大半は浅草寿町等を起点終点としている傾向があり、あくまでも途中経由地との傾向が強いものでしょう。

 ここに5月22日以降、東武バスウエストが京成バス・JRバス関東・京急バスと共に新路線3つを開設します。 最初にこの事を知った京成バスのプレスリリースでは、その内の1路線である「東京スカイツリー〜東京ディズニーリゾート線」( http://www.keiseibus.co.jp/info/upfiles/f11fd9179ea73f330dad61790f6bba15.pdf )の案内のみとなっていますが、東武バスのプレスリリース( http://www.tobu-bus.com/pc/images/data/20120405132953.pdf )では他の2つの「東京スカイツリータウン〜東京駅線」(JRバス関東と共同運行)、「東京スカイツリータウン〜羽田空港線」(京急バスと共同運行)が案内されており、あわせて既に運行が開始されている前述の「スカイツリーシャトル上野・浅草線」の定期便化も掲載されています。
 これ等の路線の特徴は当然と言えば当然ですが浅草地区を起点終点とせずに、業平橋界隈、つまり東京スカイツリータウンをそれとしている事にあります。

 特に新幹線や中央線、成田空港特急を意識してか、東京駅からの路線は午前7時台〜午後20時台まで20分間隔での運行となっています。
 これは元々直行交通機関のなかった業平橋駅界隈はもとい、対岸の浅草地区まで含めても都バスのS-1と東42甲の2系統を除き、東京駅から乗換なしでの移動が出来なかった事を踏まえると大きな改善と言えるでしょう。
 最も運賃に関しては前述の都バス2系統が200円であるのに対し、大人500円、子供250円と割高ではありますが、都バスの東42甲が東京駅八重洲口より1時間に2本が基本であり、時間帯によっては1本のみとなる事。
 もう1つのS-1系統は以前は東京駅丸の内北口より毎日毎時2本で運行していたものの、東日本大震災に際しての混乱以降、一時は運行中止、再開後も上野松坂屋前までの運行が基本となり、東京駅丸の内北口からは土休日にわずか4本にまで減少しているのを考えれば、直通交通機関としては大いに使えると思えます。

 なお鉄道ですと東京駅に隣接している大手町駅より地下鉄半蔵門線にて押上駅まで行くのが唯一の直行移動手段かつ運賃190円と低廉となりますが、東京駅より延々地下通路を歩いて大手町駅半蔵門線ホームまで行く手間を考えると、少しばかり割高でも東武バスとJRバス関東の共同運行路線を使った方が楽でしょう。
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 またバス車体は路線バスタイプではなく、昼行高速バス用のハイデッカー四列シート車が充当されるのがJRバス関東の時刻表より確認出来ます。都内完結の東武バスの路線は王子駅と亀有駅を結ぶ系統に例がありますが、JRバス関東の路線では他には思い当たりませんし、その辺りでも個人的には注目してしまえます。

 残りの2つの路線の1つである「東京スカイツリータウン〜羽田空港線」は運賃900円にて毎時1本の運行。一見しただけではただの空港連絡バス、と見えますが途中停留所として錦糸町駅が設定されており、一部のバスは錦糸町駅〜羽田空港と東京スカイツリーとは関係のない区間のみの運行となっていたり、早朝夜間には錦糸町駅を経由しない直行系統も設定されているのが面白いものです。
 羽田空港と浅草・業平橋地区を結ぶ交通手段としては、都営浅草線と京急線の直通運転とリムジンバスの「浅草・錦糸町エリア〜羽田空港線」が存在しています。
 前者は本数はそれこそ多く羽田空港国内線ターミナルから浅草線のスカイツリー最寄り駅である押上駅までの運賃も640円でありますが、後者については1日2往復のみ、運賃も2700円となっていますから羽田空港からスカイツリーへの移動手段として考えると、浅草線が「東京スカイツリータウン〜羽田空港線」の競合相手となると言えます。
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 最も浅草線は通勤鉄道であるのを考えれば、朝夕を中心として通勤ラッシュが特に子供連れにとってはやや難。更に浅草線内を多くの列車は各駅停車で運行するのを考えますと、渋滞に巻き込まれるリスクを考慮しても、通勤ラッシュとは無縁で隅田川東岸の下町界隈を眺めながら移動出来る直通バスの方が観光客向けには楽でしょうし、そうでなくとも260円差でのサブルートとして位置づける事も出来るかもしれません。
 なおこの系統は錦糸町駅〜羽田空港間の区間利用も可能との事ですので、スカイツリーとは関係のない空港移動の需要も狙っていると考えられます。
 
 そして最後に残ったのが京成バスとの共同運行となる「東京スカイツリータウン〜東京ディズニーリゾート線」。これまでの2路線、更に既に運行されている上野・浅草線が何れも主要駅・空港からの移動需要を考慮している路線であるのに対し、言ってしまえば観光施設同士を結ぶ一線を画した路線でしょう。
 本数は午前7時〜21時台の毎時1本が基本であり、運賃は500円。それなりの移動距離にもかかわらず羽田空港線よりも400円安いのが興味深いところですが、この系統もその羽田空港線と同様に途中停留所として錦糸町駅、更に葛西駅が設定されているのが特徴です。
 よって東京スカイツリータウン〜葛西駅、錦糸町駅〜東京ディズニーリゾートの区間利用も可能となっており、既に急行バス「シャトルセブン」( http://www.city.edogawa.tokyo.jp/kurashi/kotsu/bus/shuttle/index.html )や高速バス秋葉原・東京駅〜新浦安線にて東京ディズニーリゾートへの乗り入れを行っている京成バスらしい設定と見る事が出来るでしょう。
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 また京成バスが得意としている東京東部地区及び千葉市以東地区における、放射状(東西方向)に伸びる鉄道路線を環状(南北方向)に結ぶ( http://www.keiseibus.co.jp/pdf/120302.pdf )路線の応用例として見る事も可能かもしれません。
 スカイツリーの駐車場事情に関しては2012年5月16日付の日経流通新聞にて取り上げられており、記事中では新聞社の調べではありますが、東京ディズニーリゾートの15分の1の1328台しか駐車スペースが無い事が触れられています。
 よってマイカーでスカイツリーへ行こうと言うのはある意味狂気の沙汰、と極論言えてしまえると思います。仮にマイカーで都内まで行っても別の地区の駐車場に車を止めて、そこから今回紹介したバスだとか、あるいは既存の鉄道網(とうきょうスカイツリー駅あるいは押上駅、徒歩移動も考慮すれば浅草駅・京成押上駅も)を利用するのがベストでしょう。
 開業段階でこれだけの駐車スペースしかないのは言い換えてみれば、当初から公共交通機関の利用を前提とした設計である、と推測出来ます。また周辺は下町、つまり住宅密集地であり、過度のマイカーでのアクセスによる渋滞は周辺住民にとっては迷惑以外の何者でもありませんから、その辺りを考慮して、特に地方から向かおうとする方は注意する必要があるかと思います。

 以上の具合でそれこそ様変わりするスカイツリー開業に伴う、浅草・業平橋界隈のバス事情。スカイツリー自体は混雑が収まってから行きたいものですが、その前にこれ等のバス路線は機会を見つけて観察に行きたいものでした。

 写真は1枚目と2枚目は2010年9月18日、3枚目は2012年5月13日永田町駅にて、4枚目は2010年10月23日に羽田空港国際線ターミナル駅にて、5枚目は2009年4月7日にパームアンドファウンテンホテル停留所にてそれぞれ撮影。
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2012年05月04日

プラネット再訪とドイツ鉄道のサボ入手

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どうも4ヶ月振りの関西2日目な狐です。
連休直前に急遽決まった旅行故に、今晩の宿はカプセルホテルとなるなど何時もとは勝手が異なるものですが、かなり無理したとは言え、来て良かったと振り返っております。

さて2日目は以前よりお付き合いさせて頂いております、DDR―東ドイツ―や人民ポーランド等の旧東側諸国の雑貨や書籍を扱っておりますウェブショップ「ISKRA(イスクラ)」さん( www.iskra9.com )のギャラリー「東ドイツ雑貨・ギャラリー DDR RAUM PLANET(プラネット)」へとお邪魔して参りました。
知り合ったきっかけはTwitterでして、昨秋の東方紅楼夢に参加した後に初めて足を運んだものでした。
あの時もお忙しい中、色々と話をさせて、また見させて頂きまして大変ありがたく、また楽しい印象深い時間を過ごせたものでした。

それから半年余りが経過した訳ですが、ふとしたご縁ありましての二週間ほど前には予期していなかった、この関西旅行。
次に来れる可能性があるのは夏になりますから、この機会は正に天賦の何とやらと、前述した具合に再び足を運ばせて頂いた次第でした。
今回も色々と興味深い話を聞かせて頂け、改装や新たに仕入れられた品々で様子の変わった店内に心躍らせてしまったのは最早然りとしか言えないもの。
そして矢張りベルリンにまた行きたい、と強く感じつつ、DR―東ドイツ国鉄―の胸飾や、1933年の国会議事堂放火事件を取り上げた雑誌―Illustrierte historische hefte―を購入してしまったものですが更に入手出来たものがありました。

それはDB―ドイツ鉄道―のサボ。
写真がそれとなりますが、ドレスデンの近郊列車(RegionalBahn)のもので、Dresdenと近郊のKoenigsbrueckを往復する列車に用いられていた様です。
まさか入手出来るとは思えなかったので、感謝以外の言葉がないのですが、実はこのサボを幾つか入手しており、欲しい方がいればお売りしているとの事です。
サイズはかなりありまして、目視した限りでは横が50の縦が20センチ辺りでしょう。また堅くはなく、適度にしなる素材となっています。

日本では島国との事情もあってか、海外の鉄道に興味を抱かれる方が少ない傾向がありますが、日本仕様のサボとの比較等も面白いのではないでしょうか?
またふとした存在感があり、如何にも「鉄道」との気配はそれでいながらないものですから、ふとした部屋のインテリアとしても悪くないかと感じます。

もし興味を持たれる方がいましたら、私まで、あるいは直接イスクラさんまで是非ご連絡下さい。
なおプラネットは週末のみの営業となっています。
ウェブショップがメインとなっていますから、前述しましたイスクラさんのサイト等を是非ご覧になって下さい。
今は亡き国家DDR―東ドイツ―と関連する時代の息吹きを少しでも感じて、また興味を抱いて頂けたら嬉しい限りです。
posted by 冬風 狐 at 23:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

東電値上で今夏は安中貨物が見られない?

 どうも先週に北海道より帰る途中で催した風邪がまだ続いている狐です。
 熱がそう出る訳でもなく、喉が軽く痛くて少しだるい程度ですから普通に動けるのがせめてもの幸い。また、ここ数日は痰も出ていますのでそろそろ治るのを期待したいところであります。

 さて新年度になって最初の日記は4日前(2012年4月6日付)の上毛新聞一面にあった記事を取り上げたいと思います。
 これは「東邦亜鉛 今夏の操業停止」との見出しで載っていた記事。これは東電による電気料金値上げによる負担増加に対する節減策の一環として、安中市にある安中精錬所を7月12日から9月5日まで操業停止とすると東邦亜鉛が発表した、との内容でした。なお東邦亜鉛の公式サイトを見てみますと同様の内容のプレスリリースが掲載( http://www.toho-zinc.co.jp/news/2012/news_20120405.htm )されております。
 東電の値上げが精錬所の2ヶ月間に及ぶ停止、と言う実経済への影響に波及してしまった事も注目すべき点ではありますが、ここでは敢えてこの精錬所の為に運行されている貨物列車、通称「安中貨物」がこの時期は運行されるのか、との点が個人的にかなり興味深く思える点ではあります。

 この安中貨物とは福島県小名浜港より安中精錬所まで亜鉛鉱石を運ぶ1日1往復の貨物列車の事。
 石油輸送列車以外では今や貴重なコンテナを用いない専用の貨車により運ばれる車扱貨物列車、また輸送品目が「鉱石」と日本で唯一なっている列車でして、更に群馬県内の信越線に乗り入れる唯一の貨物列車と中々「唯一」だとか「貴重な」の言葉の要素を有している列車であります。
 それ以外でも寝台特急牽引用のJR東日本所有電気機関車が充当されたり、また使用される貨車に新車が投入される等、興味深い以上に色々と変り種、として良いかも知れません。
 なお今ではJR貨物が開発したEF510形電気機関車のJR東日本仕様車が使用されていますが、かつては赤い国鉄型のEF81形電気機関車が使用されていましたので、今以上に注目を鉄道趣味者の間で集めていたものでした。下の動画はまだEF81形が使われていた時に安中駅にて撮影したものです。


 そんな安中貨物ですが前述した通り、輸送品目は「鉱石」であり、それは亜鉛鉱石の事。つまり安中精錬所で精錬する亜鉛を運ぶ列車なので、安中精錬所の為にある列車として過言ではありません。
 少なくとも現時点では安中貨物の運行自体に関する公式な情報はありませんので、あくまでもこれは私の推測に過ぎませんが、単純に考えて、この夏は安中貨物は運行されないのではないでしょうか。
 精錬所が止まっている以上、精錬されない亜鉛鉱石をただただ運び込むのは考えにくいものです。また国鉄時代と違ってこの手の、安中貨物の様な特定の荷物を運ぶ為の列車と言うのは、ある程度その列車だけのダイヤなり運用が組まれていますから、他の列車の運行の為に回送扱いで走らせる事もまずない、と考えるのが妥当です。

 上述の推測通り、今夏の運転がなかったとしたらそれは中々に残念なものです。何故ならこの安中貨物を群馬県内で撮影しようとすると安中に向かう下り列車を狙うのが唯一の選択肢、即ち、折り返しとなる列車は夜に安中を出発するダイヤなので、夕方に安中へ向かってやってくる下り列車しか撮影のしようがないのです。
 次の動画は昨年9月23日に高崎駅にて撮影したもの、後半にて安中貨物が姿を現しますが、9月でまた薄曇とは言え、若干撮影には適さなくなりつつあるところがこの時期でも生じつつあります。

 よって昼間の長い夏季が最も撮影に適している時期であるのは言うまでもありません。そこで運休となると今年は安中貨物を狙える機会が少なくなってしまう、と思わぬ東電値上げの余波による可能性に苦笑せざるを得ないものでした。
posted by 冬風 狐 at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

富士山噴火が騒がれる昨今に

 どうも先日、富士山麗が揺れた時には都内にいましたが全く揺れを感じなかった狐です。
 ちょうどその時は、朝まで友人の狐塚君と共に酒を飲んでおり、そして朝の地下鉄を乗り継いで穴守稲荷へ。そしてお参りをして羽田空港に向かう、大体その辺りの頃合だったでしょう。
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 地震があったのを知ったのは天空橋駅のホームにて、地震の為、到着予定の列車が大鳥居駅に停車したまま、との放送を聴いたからであって、またそれに続く様に実家からかかってきた電話での事でした。もし路線バスで空港に向かったりしていましたら、新千歳空港から札幌へのエアポートの車内ニュースで見かけるまで全く気付かなかった事だろうと思います。
 この地震があって以降、夕刊紙の一面等には富士山噴火の文字が大きく踊っていたものです。またネットのニュースにも登場( http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120204-00000005-pseven-soci )しておりますが、一応、実家が山梨にある身からするとそこまで大騒ぎする感覚ではないのが正直な所。
 何故なら、富士山がそろそろ噴火しそうだ、との話は2010年の後半でしょうか、その辺りに帰省する度に何となく噂話で聞いては話題にしている為かもしれません。

 元々山梨は東海地震の警戒エリアにほぼ全域が含まれている事もあり、ある程度はその様な話題に慣れている、また最もそれを警戒している、とも言えるでしょう。何せ昨年3月の東日本大震災の後も、少なくともあの津波被害を知るまで、更に原発事故が起きるまでは「東海地震でなくて助かった」と少なからずの人が口にしていたのを覚えています。
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 富士山の噴火の話にしても、確か私がまだ中学生かそのあたりでしょうか。富士山の麓にて穴が見つかり、そこから熱い蒸気だったかが漏れている、とのニュースがあった頃から富士山噴火云々、は大きくは語られないものの意識はされていたものですから、今になってこうして大々的に話題になっている事には逆に、「富士山は噴火するもの」との意識がどれだけ世間一般になかったのか、と驚いてしまいます。

 上記リンク先のニュースの内容は恐らくは―交通路の途絶は確実に起きるでしょうし、噴火した場所次第ではそれは深刻なものになると思われます。恐らく、山梨県視点で見た場合、使える交通路は国道140号雁坂トンネル、国道20号・中央線の諏訪方面だけではないでしょうか。前例として豪雪ではありますが、実際にこの様になったのを経験しています。
 富士山の火砕流は昔に見たものでは、中央線・中央高速・国道20号の走っている大月市付近まで達した記録もあります。また身延線は富士宮付近で富士山ともろに接しますし、国道52号にしても強い地震が起きれば、あの難路ですから通過は困難になる可能性が高いと思われます。
 ただ個人的には飢饉の可能性は薄いのではないかと思います。当然、ある程度供給が細りますし、危惧しておくに越した事はないでしょう。
 何故なら富士山が噴火し、南関東の都市機能ないし交通網が麻痺状態になったとしても、新潟港・新潟空港・仙台港・福島空港・仙台空港、また関西からのルートとして道路では北陸道・上信越道・長野道・中央道岡谷以西・名神高速、鉄道では北陸線・信越線・上越線・篠ノ井線・中央西線・大糸線が生きていれば、そちら経由からの物資の搬入、即ち群馬県・栃木県経由のルートさえ維持されればある程度は可能、と考えられるからです。
 そうなると最大の問題は石油製品。これは昨年の東日本大震災でも品不足になり問題になりましたが、長野の一部・山梨・栃木・群馬の各県は南関東にある製油施設から発送される石油製品を鉄道貨物輸送によって供給されていますから、製油施設あるいは鉄道貨物のどちらかが欠けただけで石油製品の供給を受けられなくなります。
 そしてそれはマイカー依存率の高いこれ等の県で、ガソリン不足による移動手段の消失と言う悪夢につながります。
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 ここまでなりますと、東北に対して東日本大震災にで行われた石油輸送以上の「作戦」が必要となります。日本海側の製油施設の能力はそこまで高くない、また削減されているのも踏まえると、それこそ備蓄ないし代替措置の構築が不可欠です。

 そしてもう1つはその決定、つまりどう代替輸送路を策定し、管理するか、の能力の維持となります。国の機関もそうですが通信に限らない、物流等の大手企業も東京に集中している現実はどうにかしないとなりません。一例として鉄道だけを見てもJR東日本・貨物の本社は東京都内にありますし、石油貨物輸送を担う日本石油輸送もまた都内に本社を有しています。
 恐らく、何らかの対策は講じているとは思えますが、国鉄時代と異なり、各JRの管内はその管轄するJRしか分からない状況になっている以上、こればかりは備えていないと正にどうにもならない事になりかねないのではないでしょうか。
 最もある程度の備えをしておけば、被害は甚大になろうとも何とか対処出来る。それが富士山噴火でしょうから、過度に深刻に構え過ぎずに、対策を講じるのがベストだと考えたいものです。

 もしも万が一、飢饉になるほどの破局的展開としたらそれは群馬・長野の県境にある浅間山が連動して噴火したら、ではないでしょうか。
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 富士山噴火に刺激されて既に活動の活発な浅間山まで本格的に噴火したら、それこそ最悪の事態。首都圏は富士山と浅間山の二正面からの灰に覆われ、恐らくそうなった場合の貴重な交通路であった常磐線・常磐道の通る福島県浜通り地方を福島第一原発によって失っていますから、それ等に囲まれる形で周囲から切り離されてしまいかねないでしょう。
 また浅間山は江戸時代に大規模な火砕流を起こして複数の村が消滅していますし、群馬県は浅間山以外にも榛名山等複数の火山を有しており、これ等の火砕流や火山灰によって古墳時代までに複数回、被害にあっています。私の家の近所でも数メートル掘りますと、当時の田んぼがそのままに、つまり火砕流だとかに飲まれた時のままに出土するほどです。
 地下の中の事は正直分かりません。とにかくは富士山が赤く噴火して色づいたのを見て、浅間山の神様がならば私も、と倣わない事を願うのみなのが、今も昔も変わらない人の姿なのかもしれません。

 写真は1枚目が2012年1月28日撮影の穴守稲荷、2枚目は2010年12月29日撮影の富士山、3枚目は2011年5月14日撮影の倉賀野貨物ターミナル、4枚目は2009年3月30日撮影の浅間山。
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2012年01月11日

【拍手返信】パンになった焼きまんじゅう

 どうも高崎駅に止まっている雪にまみれた電車を見る度に、何ともうずうずする狐です。
 昨日から再び寒さが強まってきておりますし、今日の昼は南の空が厚い雪雲と思しき黒雲に覆われていたのを見てしまいますと、いよいよ厳冬期に入るのかと感じられてならないものです。最も決して嫌なものではないでしょう、寒さもまた慣れてしまえばそれが普通でありますし、前述した雪まみれの北に向かう電車を見ての気持ちは正にその表れなのかもしれません。

 そんな中、ふと立ち寄ったコンビニにて目にしたのが「焼きまんじゅう風パン」。やきまんじゅうとは群馬県を中心に、埼玉県の北部を含めた地域で食べられる郷土食の1つ。寒い時に炭火で焼いたそれを食べるのはまた美味しいもので、まんじゅうの大きさもしっかりとしている事から中々お腹に良い具合にたまる、優れた食べ物であると言えるでしょう。
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 それがパンになっていたのをみた時は一瞬驚きましたが、どんな具合に素饅頭にたれを塗るやきまんじゅうをパンで再現したのか、と気になり早速買ってみたのでした。
 大きさとしては本物のやきまんじゅうより少し短い程度ですが、パンもふっくらとしていて食感もある程度は通じているでしょう。またのっているたれも、確かにやきまんじゅうだと思える味をしていまして、個人的には中々気に入ったところで良い具合に空いていた腹にも上手く収まって満足、でありました。
 価格も105円と安価ですし、1つである程度、腹を満たせるこの「焼きまんじゅう風パン」。恐らくは期間限定でしょうから、食べられる内に機会見つけてまた食べてみたいと思えたものです。
 なおふと検索してみましたらニュース( http://www.jiji.com/jc/c?g=jfn&k=2012011000791 )にもなっていました、山崎製パンと太田市立商業高校のコラボ商品との事です。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>ハッピーちゃんさん
 感想ありがとうございます、その様に申して頂けると嬉しいものです。今後ともよろしくお願い致します。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は買って来た「焼きまんじゅう風パン」。
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2011年10月14日

ベルリンの鉄道網でテロ発生中の模様

 どうも昼過ぎだったかその辺りにふと見かけた報道が、どうにも気になって仕方ない狐です。
 その報道とは題名の通り、ドイツの首都であるベルリンの鉄道網で爆弾テロ及び複数の爆発物が発見された、と言うもの( http://www.cnn.co.jp/world/30004256.html ) 。
 最初にそれを知ったのはCNNのサイトでの事でした。TwitterのTLで見かけた別の気になったニュースを見終わったところで、ふと別のニュースの一覧に目を通して知った次第でして、何とも驚いたと言うほかありません。
 上記リンク先のニュースがそれなのですが、記事によれば10月10日から連続して発生しているとの事で爆発自体は2度発生したものの死傷者は無く、他にもベルリン中央駅等の主要駅また鉄道沿線にて複数の爆発物が発見されており、鉄道運行に大きな障害が出ていると言うのが現状である様です。
 それ以外の日本語メディアでは現時点ではTech insightが10月11日に配信したもの( http://news.livedoor.com/article/detail/5926800/ )しかネット上での確認は出来ていません。なお先に挙げたCNNのものは13日付であり、最初の爆発からこの記事を書いている時点で4日が経過しているにも関わらず、殆ど日本では報じられていない事が何とも気になってしまいます。
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 上記の日本語報道と共に、BBCの10月11日付の報道( http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-15255047 )もあわせて見ますと、極左(Leftist group)によるテロとの見方が有力である様で、以前から欧州各国に警告が出ていたイスラーム原理主義系組織によるものではない模様。
 そうと知りますと、ふと夏に発生しました北欧での極右テロと共に、これは勝手な考えではありますがイスラーム系組織に治安対策等が集中しすぎ、伝統的な極右ないし極左に対する警戒度が下がってしまっているのではないか、そんな危惧を思わず抱けてしまえたものでした。

 ベルリンは自分にとって色々な事を気づかせてくれた街でありますし、そうでなくとも好め、また訪れたい都市。そして知る人も住んでいる都市であるからこそ、何とか無事に解決する事を願えてしまえるものです。

 写真は2011年2月22日撮影、ベルリン南部のHermannstrasse駅に到着するS-bahnとなります。
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2011年07月12日

【拍手返信】ベルリンの壁の講演会に行ってきた

 どうも先の日曜日は久々に横須賀に足を運んだ狐です。
 横須賀、もとい三浦半島方面に足を運んだのはほぼ1年ぶりかその辺りでしょう。少なくとも昨年の大型連休の際に神武寺から逗子駅にかけて、東急車輛専用線の探索に行ったのは確かな事。ですからその方面に行くのが久々である事に加えて、今回は3年ぶりに横須賀港に浮かぶ無人島、猿島にも足を伸ばす事が出来、中々楽しめたものでした。
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 最も横須賀に足を運んだのはある目的の為。それはた自分が初めての海外旅行先としてベルリンを選ぶ、更に言うなら海外へ行ってみようと決意するのに当たって大きな役割を果たした、と言って過言ではないブログ「ベルリン中央駅」( http://berlinhbf.exblog.jp/ )の管理人である中村真人さんの講演会( http://berlinhbf.exblog.jp/14936259/ )を聴きに行く、それが今回の目的でありました。
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 その為、以前からベルリンに関して色々と話をしている友人のながたにさんや共にベルリンへ足を運んでいる狐塚君と連れ立って向かった次第で、横浜駅にて合流した後、13時頃まで猿島を歩いて過ごした足で会場へと移動したと言う次第です。

 会場となったのは横須賀三浦教育会館。横須賀中央駅からは微妙に遠かったのでタクシーで向かいますと、とおりの先に見える海には猿島が、ちょうど目の前に浮かんでおり、海を挟んでとは言え、比較的近しい場所にずっといたのだなぁとふと思わされてしまったものでした。
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 到着したのは14時の講演開始の15分ほど前の事でした。受付を済ませて中に入ると定員100名余りの会場は既にかなりの席が埋まっており、並びで座れる席は見当たらなかったのでばらばらに座る事になり、自分が腰を下ろしたのはちょうど前から3列目にして、画面等も見やすい悪くない席でした。
 そしてほぼ時間通りに講演が始まる直前に中村さんが演壇に登場。初めて直接見た中村さんはやや緊張した面持ちでありましたが、講演が始まりますと次第にその様な気配は消えて、すっかりその世界に引きずり込まれてしまったのでした。
 内容は講演会の題名が「ベルリンの壁とは何だったのか?〜壁と歩んだ街 ベルリンの過去と現在〜」ですから、ベルリンと共にあった壁の過去と今に関して、中村さんの考えや経験を交えたもの。
 自分もベルリンが好き、と言うだけはあって自分なりに調べたりしていたものでしたが、矢張り実際にベルリンに住み、そして壁の現実を知っていた人々から取材されたエピソードがふんだんに盛り込まれた中村さんの話は深みがありました。

 それは自分の知りえていた情報を改めて上書きしてくれると共に、知らなかった事実を得られ、またベルリン滞在の際に、ふと足を運んでいた場所が実はベルリンの壁を語る上で外せない重要な場所である事を再認識出来たのは本当に嬉しいものでした。
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 その中でも印象的であったのは壁を実際に越えられた方の体験談でしょう。その方がどうして壁を越えたのか、そして壁を越えてからどうなったのか、と言う点はとても興味深かったもので、ふと後で思い返して今も尚、分断国家として存在している南北朝鮮と個人的に対比してしまったものでした。

 そこで東西ドイツ、あるいは東西ベルリンも分断と言う点では同じとしても、その内実には多くの差があると言えましょう。
 例えばこれもまた思惑があったとは言え、65歳以上の東から西への移住許可の存在。また東西ベルリン間の往来が可能であった事も見逃せません、何せ今回の講演の中で出された東から西へ逃亡した方は、分断中に東に住んでいる両親に会いに東ベルリンを訪れているのですから。この時点で同じ分断とは言え容易に超える、以前に往来が困難に等しい南北朝鮮とは同列に語れないものでしょう。
 最も壁が生んだ悲劇と言うのは講演の中でも触れられていた様に、決して忘れてはなりません。しかし分断、と言う事実は同じとしても、これは以前から抱いていたものですが、南北朝鮮と東西ドイツの関係は同列には語れない、大きく異なったものであると改めて自分の中で感じたものでした。
 言うなれば前者が絶対的な敵対関係とイデオロギーに基づく硬直したものであるならば、後者は敵対しつつもどこかでつながりを維持し、またある種の信頼感を有している奇妙な柔軟さをどこかで有していた関係、と言えるかもしれません。
 当然前者に対しては朝鮮戦争として戦火を交えた過去がありますから、それを見逃す事は出来ません。しかしそれを差し引いても後者にどこか漂うその柔軟さは、あくまでも歴史として知るのみですが黄金の20年代を謳歌していたベルリン、そこから続くその都市の有する性格故の物ではないのかと思えてしまったものでした。
 もしそうでないならば、それだけ東西ドイツないしベルリンは近接しあっていたから、とも言えるかも知れません。

 今回の講演会に話を戻せば以上の様な個人的な考察もあって、よりベルリンと言う存在に対して興味と好意を抱けた、と言えましょう。改めて来年にはまたベルリンに何とかして足を運びたいと思えましたし、そうなる様に努めたいものです。
 そして講演会が終わったのは予定では15時45分でしたが、色々と質疑応答の時間が盛り上がり5分ほど超過しての事でした。また終わりも近くなった頃で、中村さんが講演会の中で取り上げられた東から西へ脱出した方の息子さんが登場したのは大きなサプライズ。ドイツ人と日本人のハーフの方で、現在は仕事の関係で日本に住んでおられるとの事でした。
 講演会の後、会場で販売されていた中村さんの著書へのサインを求める人の列が途切れるのを待ってから、ご挨拶出来たのも自分としては嬉しいものでした。余り時間もなかったので簡単にやり取りが出来た程度でしたが、また機会があれば、と思えてしまったものです。
 今回の講演は本当に楽しいものでした、何ともありがとうございました。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 EL列車の前後に電気機関車を連結しているのは終点の横川駅が構造上、機関車を交換する機回しが出来なくなってしまっている為です。その為、前後に連結させないと戻る事が出来ないのであの様になっている次第です。
 リバーストに関しては大分展開が進みつつありますが、改めて駆け足過ぎる気配が・・・(苦笑 ポケモンのチョイスもなんか微妙な具合ですし、明日はサンデーの発売日とは言え、やや複雑な思いも否定は出来なくなりつつあります。
 東方小説に関してはもう少し数が増えたら対応する予定です、ちなみに東方でTF小説も考えてはいますがまだ掲載するには至っていないところです。
 投稿小説については続きを今晩辺りにでも掲載する方向で考えています。
 うごメモは拝見しましたが、まぁ分からなくはないと言うところですね。最も個人的にはそうやって決め付ける、何とかなら何々しないはずだ、と言う決め付けがやや不快ではありますね。何事にもおいてもそうですが多様性と言う点で考えるならば、その様な決め付けは余り好ましくないでしょう。
 そしてある意味では擬人化は好きではないと言う作者の趣向の押し付けである、とも感じられますから卵が先か鶏が先かに近い、無意味なものにも感じてしまえます。

 コスプレに関してはあくまでも「犬走椛」と言うキャラをしているので、余り気にせず写真を投稿しましたね。今後は色々とイベント等に行くでしょうし、そう言う点ではハードルは下がっている様にも感じています。
 農袋と言うのは東方風神録に出てくるキャラクター「秋姉妹」の信者、ないし好きな人の事です。椛と共に秋姉妹が大好きなのでその様にTwitterの名前につけてみた、と言うところです。そして名月祭とは10日に名古屋で開催された東方オンリーイベントの事で、1ヶ月ほど前から、そこに行く事を目標に色々と計画を進めていましたので、急な予定で行けなくなったのは本当に残念な事でした。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は1枚目が猿島全景、2枚目は中村さんの講演会のポスター、3枚目は会場の横須賀三浦教育会館、4枚目はベルリンのBornholmer Straße(ボルンホルマーシュトラーセ)駅前の鉄橋。1〜3枚目は2011年7月9日撮影、4枚目は2011年2月19日撮影。
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2011年05月10日

【拍手返信】常磐線久ノ浜駅再開と上野駅で見たいわき行きな「原ノ町行き」

 どうも東日本大震災により運転を見合わせている路線の内、常磐線の一部区間が今週中にも再開すると聞いて嬉しい狐です。
 JR東日本水戸支社のサイト( http://www.jrmito.com/top.html )によると現在運転を見合わせている四ツ倉〜亘理間の内、四ツ倉〜久ノ浜間が5月14日にも運転を再開する見込みとの事で、わずか1区間ではありますがいまだに完全な運行再開を見ていない被災路線が複数ある中では明るいニュースであると思います。
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 先月、四ツ倉駅が再開した日に四ツ倉駅まで足を運び( http://ftir-reise.seesaa.net/article/196366949.html )、震災から1ヵ月余りが経過した茨城県ないし福島県いわき市付近の様子を見に行ったものですが、その時は四ツ倉駅以北が早期に復旧する事はないだろうと踏んでいたのもありますから、今回の件は余計に嬉しく思えてしまうところです。
 そもそもどうして早期復旧はないと見ていたのかと書けばそれは、四ツ倉駅以北の多くの駅は福島第一原発を中心とする半径30キロ圏内に含まれている為であり、原発事故が収束しない限りは不可能であると考えていたからです。実際に福島第一原発から20キロ圏内は現時点でも、JRが被害調査に入る事が出来ない状態が続いています。そして久ノ浜駅は30キロ圏ぎりぎりですから、調査はされているとしても再開は先になるだろうと見ていたのでした。
 しかしながらどうして久ノ浜駅までの常磐線再開がされたのか、それは恐らくいわき市内は30キロ圏内でも緊急時避難準備区域から除外された為( http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110422004/20110422004-5.pdf )でしょう。故に再開の運びとなったのでしょうし、現時点では最も原発の避難エリアに近い鉄道の終着駅となる事が見込まれます。

 そんな久ノ浜駅は東日本大震災と原発事故以前は特急停車のない小さな駅でした。1日1往復だけ水戸方面からの普通列車が折り返す設定がされていた以外では、あくまでも普通列車の途中停車駅であっただけに、この様な災害で暫定的な終着駅となるのは何とも皮肉な事と言えるでしょう。
 そもそも常磐線自体、いわき駅までは上野発の特急が毎時1本は発着していましたが、いわき以北の区間は特急は1日6往復のみ、普通列車は1時間に1本程度と言う比較的ローカルな区間でした。また大震災前にされていたJRの発表では上野〜仙台間を直通する「スーパーひたち」をいわき駅で分断し、新たにいわき〜仙台間の特急を設定する計画もされる等、直通需要の減少を踏まえたダイヤ改正も予定されていたほどです。
 そんな矢先の大震災によりこの計画如何に関わらず、常磐線特急はいわき以北で完全に運転を見合わせてしまっているのが現状でありますが、先の日曜日に上野駅へ降り立った際、ふと隣に止まっていた「スーパーひたち15号」の前面のLED幕を見ると以下の写真の様な表示がされていました。
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 そう「原ノ町行き」の文字が表示されているではありませんか。当然、線路は四ツ倉駅以北は不通であり、その区間に含まれる原ノ町駅はその影響で閉鎖されたままになっています。またこの前面LED幕の表示以外は全て「いわき行」となっていますから、この表示自体はあくまでも設定ミス。より言うなら前面LEDのプログラムが事故前のまま運用についているから、と言う事でしかありません。
 故に人によってはこれをおかしいとか不謹慎と言うかもしれません。しかし個人的にはある種の希望を見た様に思えました。
 即ち、幾ら大震災や原発事故により、今は線路が分断されているとしても何時か再びつながる事への期待でしょう。それにより列車が、また人も行き交う、そう言う日が何時か必ず来るのだろうという期待をどこか、この誤表示を見た事で持てた様な気がします。
 また幾ら大震災や原発事故に見舞われようとも、どこかでしっかりと繋がっている事。それを確認出来たからかも知れません。
 勿論、かつての如く、行き交える様になる日が何時の日になるかは分かりません。意外に早いかもしれませんし、もっと年単位かかるかもしれません。しかしながら何時の日か、それをこの目で見れる事を信じて、自分の出来る範囲で被災地を応援していきたく思いましたし、どこかふと前向きな心地になれたものでした。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 例大祭、と言う言葉は確かに本物の神社の例大祭とも見えますね。過去に初めて東方の存在を知った時には自分もそう感じたものですし、今回、共に例大祭に足を運んだ友人も同様の事を言っていたものでした。
 取り敢えず東方については自分なりに調べつつ、書いてみたいと前向きに考えています。
 リバーストのジャーナリストことヤッピー君の見た目は本当、ヤナップだと改めて思います。現時点ではギャグ的な感じが漂っていますが何か化けるのかとふと期待もしてしまうところです。想像していたバースト後の姿は確かにかわいさがありましたね、あれもまた体が小さいキャラだからこそかもしれません。
 ポケモンの描写の食い違いに関しては致し方ない、ある意味お約束ではありますが「生物」としてポケモンを見た場合、「わざ」ではなく「生物」として吠える、あるいは爪を使う事もあるのではないかと考えていますから余り自分はおかしく感じません。確かに「ポケモンのわざ」として見るとおかしな点になりましょう、しかしそれは視点の問題の様な気もしてしまうものです。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。

 写真は1枚目は2011年4月17日に四ツ倉駅にて、2・3枚目は同年5月8日に上野駅にて撮影。
posted by 冬風 狐 at 21:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

【拍手返信】出回り始めた単一電池

 どうも高崎駅前の日通の営業所に貼られていた、地震直後に作成されたままの文章をふと目にして改めて3月の東日本大震災が全国の物流に影響を及ぼした事を感じさせられた狐です。
 日通ですからJR貨物を利用した輸送も行われていますので、その文章の中には地震直後、3月14日現在でのJR貨物の運行状況も書かれており、東北地方は当然として太平洋岸の主要な線区に津波警報による輸送混乱が広がっていた事が確認出来ます。
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 そんな地震から明日で1ヶ月が経過しようとしていますが、流石に地震直後の買いだめ、あるいは生産設備の被災により品薄となっていた商品の姿が店頭に戻りつつあります。
 その象徴とも言えるのが単一・単二電池でしょう、コンビニやドラッグストアではまだ見当たりませんが、高崎界隈ではベイシアやビックカメラ、また高崎駅にあるスーパーの中に並べられており、ちょうどコンロの着火用に必要だったのでありがたく購入したのでした。
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 最も普段見慣れている乾電池ではなく、海外で製造販売されているであろう電池を急遽仕入れたと言う具合。上の写真が今回、見かけて買い求めた単一電池ですが左がビックカメラ、右がベイシアにて売られていたものです。
 表記を見る限りでは左の電池の製造元は調べてみたところ香港企業、右の電池はハングルの記載があるのが何よりですが、検索してみますと韓国企業でした。また購入してはいませんが高崎駅のスーパーのものは英語とフランス語表記でしたので、恐らく英国で売られているものでしょう。
 高崎駅のスーパーに関しては親会社がTESCO、つまり英国資本のスーパーですのでそのルートで入ってきたのかと思えます。ビックとベイシアについても独自のルートで入荷出来たのでしょうし、それを考えますと中々頼りになると改めて感じてしまえるところです。
 そんなかんだで姿と形こそに少し差はありますが、少なくとも自分の周りに関しては普段通りに戻りつつある、あるいはほぼ戻ったと思えます。だからこそ今だに落ち着かない福島第一原発を始め、余震活動についても何とか落ち着いて良い方向に向いてくれる事、それを願わずにはいられないのでした。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 矢張り4月は移動なり何なりで忙しいですね、こちらもようやく落ち着いたところで色々と片付けて行きたいと思います。小説については最低でも月1更新は何とか維持する、その方向で考えています。
 リバーストはある意味少年漫画らしい王道でしたね、新キャラが味方として出て来るのではないか?と言う考えもしていましたが、どうやらそれは外れた様で・・・とは言え、今回の弱点の点は何らかの形でリカバリされるでしょうし、自ら「プロ」と称する人物も登場しましたから、今後の展開を引き続き見て行きたいと思います。
 ポケモンは本当、最近していないのでちょっと話についていけないところもありますね。アニメも2ヶ月ほど見れていませんし何ともと言うところでしょう、ニューラは猫がモチーフだったような気がしますが良くは知りません。最も猫っぽいですから猫で良いのではないでしょうか。そんな気がします。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は何れも本日撮影。
posted by 冬風 狐 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

【拍手返信】情報空白な県議選の期日前投票

 どうも3月が余りにも忙しかったので、今の4月に入ってからの日々が凄くゆったりと感じられる狐です。
 矢張りこれも日常と言うものがそれだけ尊いとの証なのでしょう、昨日も日付が変わる直前に東日本大震災の最大の余震があったものですし、福島第一原発についても中々落ち着きません。だからこそあと少しでもう1ヶ月が経つ、あの大震災以前の日々がどこか近しくて、そして遠い様に感じられてならないものでした。
 さてそんな中、世の中がいかに慌しくとも時間は過ぎていくものですから、4年に1度の統一地方選の期日前投票に行ってきました。
 選挙の事なぞ忙しさの余り、投票所入場券が届くまではすっかり範疇の外にあったものですからどの様な候補者が立っているかも把握していません。更に今回は大震災を受けての「自粛」ムードの中で選挙戦が行われていますから、共産党が選挙カーを走らせている以外は候補者の名前を、掲示板のポスター、また新聞記事で見る以外は全く見聞きする事がありません。
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 更にネットで調べてみようとしたものの、ろくに情報が転がっていない有様。公職選挙法の規定云々以前にネット上に情報がないのですから全く役に立ちません。そして選挙公報は新聞に折込で配布されるとの事ですが、新聞を購読していませんので届くはずがなく、完全に情報が空白に近い状態でした。
 とは言え棄権するのは癪ですし、こう言う時だからこそ取り敢えず投票はしないと、と言う事で今日は用事を終えてから市役所に設けられている期日前投票所に出向き、1票を投じて来たと言う次第でした。数日前に読んだ上毛新聞の記事では、群馬県内の期日前投票は前回よりもかなり利用されているとの事でしたが、行った時間が夕方と言う事もあり投票所はすっかり空いていたもので、さっと済ませる事が出来ました。
 誰に入れたかは書きませんが、前述した様な有様ですので政党を基準に判断して投じてきた、とだけは言えるでしょう。
 そんな具合で済ませた統一地方選ですが、2週間ほどしての市議選、そして市長選が控えています。こちらについては県議よりも身近なものですし、少しは自粛ムードが晴れることを期待し、更には日常の中にて情報により注意して投票へ臨めればと考えているものです。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 被災地は昨日も大きな余震がありましたし、原発絡みでも相変わらずの有様ですから、とにかくは落ち着くことを願いたいですね。前回の拍手を頂いた時と比べると暖かくなっているでしょうから、寒さによる負担が減るだけでも幸いかと思えてしまいます。
 サンデーは忙しくてあの後、書評が書けていませんが一応読んではいます。取り敢えずある程度展開が進んだのでまとめて近い内に、また書評を書こうと考えています。最初の敵については、雑魚だからこそああいう展開になったのだろうと思えてなりません(笑
 ゲームのポケモンもいい加減進めないと、と思っています。昨日も名古屋まで移動する際に時間はあったのですが、新聞読んだり小説書いていたらあっという間に過ぎてしまい、結局出来ずに終わってしまいました。
 なお「山神様の〜」の両親の憑依については、戯れ事ゆえの事、と言えるかと思います。そこまで深い意味はありません。またふぁーすとは予定通り開催されました、最も幾らかの欠席サークルはあった様です。

>黒ヤギさん
 お久し振りです、地震は本当突然で驚きましたが、改めて振り返ると妙に冷静であったのを思い出してしまいます。部屋が比較的何事もなかったのは幸いでしたね、こちらは片付けましたがまた同程度のが来たら・・・と思うと何とも苦笑できてしまえます。
 取り敢えずはお互い無事でよかったと思います、また機会ありましたらどこかでお会い致しましょう。

>yamakazeさん
 初めまして、拍手投稿並びに何時も読んで頂きありがとうございます。
 幸いにして東日本大震災では本棚が壊れた程度で、それ以外は無事なところです。ご心配頂きありがとうございます、色々と落ち着かない世相ですしyamakazeさんもお気をつけてお過ごし下さい。
 これからもよろしくお願い致します。

>カギヤッコさん
 地震に関してはありがとうございます、取り敢えずは色々と様子を見守って行きたい、そう考えています。
 小説感想ありがとうございます、ふと寝つきが悪い夜に思いついたネタを膨らませてみました。連作ものとしてしばらく展開する予定でありますので、今しばらくお待ち頂ければ幸いです。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は2011年4月8日、高崎市役所前にて撮影。
posted by 冬風 狐 at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

【拍手返信】最初の地震翌日の近況

 どうも先日の地震、そしてその後の、今なお進行中かつ明らかになっていく事実を改めて振り返ると唖然どころか、何だか妙に冷静になってしまう狐です。
 刻々と明らかになっていく被害の有様は正に想像を絶するもので、知れば知るほどどこか殴られたかの様な感覚になります。改めて犠牲者の方のご冥福を、そして被災者の方が一刻も早く落ち着ける時間を享受出来る様になれる様、願うばかりです。
 また救助・救援の任務に関係各所で就いておられる皆様には心から敬意を表したく思います。

 そんな地震を自分は山梨にて、つまり帰省中に経験しました。山梨は最初の震源である三陸沖からは遠く離れていますが、それでも震度5強を記録したものでその建物がしなる様に揺れる、あのひと時は恐らくずっと忘れる事は出来ないでしょう。
 自分に関しては特に被害は現時点では受けていません、ただ高崎の家がどうなっているのかまだ確認出来ていませんが、特に何かあったと言う話は聞いておりません。若しかすると室内で本棚が倒れている等しているかもしれませんが、現時点では無事であるのをご報告したいと思います。

 山梨県での地震被害を自分の把握している限りで振り返りますと、現時点で継続しているものは特にはありません。
 最初の地震発生と共に甲府市を中心とした一部地域で長時間の停電が発生しましたが、翌日早朝までには順次復旧したと報じられていました。また鉄道と高速道路が全て止まり一時的に陸の孤島と化しましたが、深夜には中央高速が再開、身延線に限っては駅間で停車中の列車のみ運転を再開する措置が採られた、と言うのが地震発生当日に報道を通じて把握した模様です。
 翌日、つまり12日は朝から、鉄道において中央線は昼過ぎまで特急が全面運休となり、身延線特急は終日運休の措置が採られました。また運行されていた普通電車については中央線は本数を減らして、身延線は平常通りの運行が行われましたが、日常生活の面では特に何かあったと言う報道は把握していません。
 その後中央線特急は昼過ぎより運転を再開したものの、普通電車と共に地震による運用の乱れから甲府駅にて17時に確認したところでは、普通電車の行き先は表示されているものの中央線・身延線共に時刻の表示がなく、中央線特急は発車時刻が表示されていましたが下り特急が25〜30分遅れでの運転を行っておりました。
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 また甲府駅17時13分発塩山行344M運休のアナウンスもされていましたし、指定席券売機の上に設置されている空席案内は休止していました。
 この為、中央高速バスでは続行便の措置がとられた模様です。自分の確認した限りではちょうど甲府駅バスターミナルに到着した新宿14時30分発甲府駅・湯村温泉行は、京王バス東の担当便となりますが続行便として山梨交通の車両が充当されており、車両が不足している為か貸切車による甲府駅までの続行便運行になっていました。
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 それ以外では竜王・甲府駅〜成田空港線が甲府駅を4時5分発・5時15分発・6時45分発・8時55分発の4便、竜王・甲府駅〜羽田空港線が4時発・5時30分発の2便が早朝の中央高速通行止を理由に運休、また競輪開催中止に伴いサテライト双葉までのシャトルバスが16日まで運休の旨も貼り出されていたのを確認しています。
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 なお当初は羽田空港線の甲府7時発の便も運休が予定されていた様ですが、告知として貼り出されていた紙ではその部分のみ塗りつぶされていたので、運行されたものと推測されます。

 それ以外では甲府界隈の様子は日常通りであり、スーパーに立ち寄ると前述した地震発生当日の大規模停電の影響で生鮮食品類を中心に品薄、あるいは販売中止の措置が採られていた事、そして水が一部の店舗で品薄になっていたのを見かけた程度でした。
 最もプレオープン中のイオンモール甲府昭和では、入居している書店に本の入荷が遅れている旨の掲示があり、SUBWAYも店舗に明かりはついているものの、因果関係は不明ですが地震の営業で休店との案内が貼られていました。
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 地震の揺れについても最初の地震の時の様な揺れは甲府盆地では経験していません。時折揺れる時がありますが首都圏や東北地方と比較しますとかなり落ち着いている、と言えるでしょう。
 最も長野県北部での地震の様に、正直何時山梨も揺れるか分からない、そう言う考えでいる事は確かです。最初の三陸沖での揺れの時も余りに強い揺れに、最初は東海地震が来たかと直後にネットの情報で確認するまで浮かべてしまったものですし、取り敢えずは山梨でも群馬でもそう言う心構えで過ごしていきたいと思います。
 皆様もそれぞれの場所でお気を付けてお過ごし下さい。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 サンデーを愛読しておられるのですね、題名は見直したら確かに「リバースト」でした。確かにぶっ飛んでいる感はありますが、自分はありだと思いますし、以前に送って頂いた寝たとの共通点もあるからこそ今後の展開を見守りたいですね。
 コマタナの名前の響きが妙に頭に残ってしまっているので、ついつい進化した姿を見てもコマタナ、と認識してしまいがちです。妙な事ですが作中でキリキザンを見た事がないのも一因かもしれません。
 狐が直接的に化ける、と言うのは確かに日本特有かもしれません。中国にもあるにはあるのですが、すっかり断絶してしまっている様なのでそう言う点でも、いまや日本独特の発想と言えるでしょう。ただし狐が人を誑かすとか、そう言うイメージは欧州等でも見られますし、形こそ変わりますが矢張り狐は人を「化かす」と言うのが共通して各地に見られるのが興味深いところでしょう。
 ベルリンでも軽く粉雪が舞っていた日がありましたが、日本の方がこの季節としては雪が降っているように思います。とは言え天気予報の最高気温がそろそろ15℃越えになりそうですし、いよいよ春と感じています。
 確かに一旦受精卵に戻るメルモ的な発想ですね、受精卵本来のサイズになる事無く、ある程度の珠となってその過程をたどる事はありだと思います。またその方が描写としても書きやすいかもしれません。
 うごメモの旅行以前のものについては後ほど、改めて見たいと思います。旅行前で色々と忙しかったので見たには見ましたが余り印象に残っていないので、再び見次第、機会を見て触れて行きたいものです。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は全て2011年3月12日撮影、1〜3枚目は甲府駅改札口周辺、4〜6枚目は続行便の運行もあった中央高速バス関連、7枚目は一昨日のプレオープン開始当日に地震に見舞われ、停電による被害を受けたイオンモール甲府昭和外観となります。
posted by 冬風 狐 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

【拍手返信】秋葉原ホコ天に行ってみた

 どうも先の日曜日に突発的に東京へ行ってきました狐です。
 それ故に当初は参加予定ではなかった神楽の稽古にも参加出来たり、また穴守稲荷にも久々にお参り出来る等ありましたから結果オーライではありますが、どうして言ったのかと書くならばそれは秋葉原のホコ天、歩行者天国を見に行く為でした。
 これは先週末に放送されましたNHKのクローズアップ現代で再開された秋葉原ホコ天再開初日の特集( http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2993 )を見てのもので、その余りにも自分の知っている秋葉原とはかけ離れた姿に呆れ、本当にそうなのかと思い観察する為、と言えるでしょう。幸いにしてパソコン関連の事柄でふと用事が出来たところでしたし、それを兼ねて時間の都合で短時間となりましたが足を運んだ次第でした。
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 よって番組を見た感想と共に自ら、再開2回目のホコ天を歩いた際の事を絡めて書きたいと思います。

 秋葉原のホコ天が中止になったのはあの忌まわしい事件、2008年の中央通り交差点における無差別殺傷事件でした。最もそれ以前からホコ天中止への複線と思しき出来事は起きていたもので、例えばコスプレをした集団がエアガンを打ち合う騒動や、路上パフォーマンスを巡るトラブル等、人が集まり注目を集めるからこその出来事が多発しておりました。
 それは以前から時としてではありますが、それでもそれなりに秋葉原を待ち合わせに使う等していた身からすると段々と雰囲気が悪くなり、過ごしにくいと感じていたものです。だからこそ当時としてはホコ天は無くなった方が良いのではないか、と思っていたものでした。
 しかし事件を受けてのホコ天中止後、それなりに経ってから再び足を運んだ際の歩道の異様な混雑による歩き難さ、そしてあの独特な雰囲気がすっかり薄れていた事を実際に感じて、改めてホコ天は問題を起こす可能性はあるとは言え、アキバらしさを作り出す必要な装置ではなかったのか、と思い直し何時か復活しないものかと、ふと浮かべている自分がいました。
 よって今年に入っての秋葉原ホコ天の期間限定での復活と言うニュースは喜ばしく思いましたし、再びあの賑わいが戻ってくるのではないか、とふとした期待を抱いていたものです。
 だからこそNHKで特集されると知った時は是非見よう、と視聴したのですがそこに映し出されるホコ天は、余りにも自分の知っているかつてのホコ天とは似ても付かない姿に変容していました。それには大いに失望、と言うよりも唖然とした感情を抱けてしまってなりません。

 特にこれはない、と思ったのはパフォーマンス禁止の名の下に全てが禁止されている事でしょう。確かに前述した通り、過激な路上パフォーマンスが過去に問題となっていたのは事実です。しかしだからと言って日頃から秋葉原の歩道で行われている家電量販店やメイド喫茶と言った商店の行う販促活動すらも、路上パフォーマンスを禁止しているのにそう言う活動を認めるのは示しがつかない、そんな如何にもお役所的な判断で一律禁止にするのはふざけているとしか思えません。
 そしてもう1つは歩行の強制でしょう、ただふと立ち止まっただけで立ち止まるなと注意されて歩く様に命じる姿勢は大いに疑問です。自転車の通行禁止は当然としても歩行者天国であるから歩かなくてはならない、とは余りにも杓子定規で視野の狭いものではないでしょうか。
 何れにしろこれ等の措置は今回のホコ天再開に備えて定められた「秋葉原協定」なるルールに基づくものとの事で、初めてですからそれが厳格に運用された、と言う見方も出来るかもしれません。実際に足を運んで歩いた際、通りの真ん中に設置された禁止行為の羅列された看板を撮影すべく立ち止まりましたが、その時は周囲に警官がいなかったからかもしれませんが注意は受けなかったものでした。
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 それでもテレビに映っているにも関わらず、戸惑っている店員や歩行者を注意と称して怒鳴りつける警官の姿やその協定が定められる過程でのやり取りを見てしまうと、本当にホコ天再開は秋葉原の為になるのか?と言う疑問を抱けます。

 確かにホコ天は人を集める手段に成り得ます。実際に自分もホコ天が再開されたのを知って様子を見る為に足を、およそ半年振りに秋葉原の街へ運んだものですし、オタクの街と言う認識が定着する以前からの秋葉原を、肉の万世のかつサンドを頬張りつつ知っている身としてはあの賑わいは楽しいものでした。
 しかし今回見たホコ天はあくまでも忠実に「歩行者天国」と言う形にし、無難に済ませよう、だから協定を遵守すると言う視点が強いものでした。少なくともそれは自然と街の様子が遷移してきた、即ち鉄道の貨物駅として街が始まり、戦後の闇市を経て家電の街になり、PC関連の街になり、そしてオタクの街と自然とその時代のニーズに合わせて変化してきた、言わば「民」が主体であるはずの街、秋葉原とは対照的な姿です。
 だからこそ「歩行者天国」とは言うものの久々に歩いたそこは単なる通路でしたし、ただ車道が開放されている、それだけの空虚な空間と言う印象を抱けます。
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 番組の中ではホコ天が終わった途端、街に賑わい、つまり秋葉原を彩る1つの要素である家電量販店の呼び込み等が再開されて、普段の秋葉原に戻っていく姿が映し出されていました。それを見てホッとしたものですし、だからこそ本当にホコ天は今の秋葉原にとって必要なのか、と言うのはより深く考えられるべきであると思います。

 少なくとも自分はそこまで安全に敏感になって制限が入るのであれば、わざわざホコ天を再開する必要性はないと感じます。その為にかかる人の手やコスト、そしてふとした違和感を街を行く人に感じさせてまでする必要はないですし、それは逆に秋葉原のイメージダウンに繋がるのではないでしょうか。
 何より言えるのは秋葉原からホコ天がなくなっておよそ3年が経過する事です、3ヶ月であればまだしも3年と言うのは矢張り長いでしょう。例えるなら義務教育の3分の1に相当します、そしてその間に人がどれだけ成長するか、と考えれば無視出来ない長さではないでしょうか。
 つまりその間に人も変われば街も変わるもので、人も街もホコ天のない秋葉原にすっかり順応しているのが本当の姿でないでしょうか。よって心情的にはホコ天はあった方が楽しい、と思うのはかつての賑わいを知っているからこその性なのでしょう。
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 しかしそれは必ずしも正しいとは限りません。年月を経て街も変わってしまったなら、そこにホコ天の居場所があるのか?それがまず考えられなくては、幾ら形だけ復活させても長続きはしないでしょう。そしてそれを何とかして維持させる為に各種規制が押し付けられ、普通の街以上に「安全」こそが追及されるのであれば尚更不要と思えてなりません。そしてその事は秋葉原自体の存在価値も長期的に減じる要因に成り得るのではないか、と思えるものでした。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 本当、旅行を計画した時には思ってもいなかった事ばかりである意味では苦笑しつつ、そしてこれもまたある種の楽しみかなと思っています。とりあえずは情勢を見つつ気を付けて参りたいと思います。
 狐神楽のパリ支部と言うのはパリに住んでおられるメンバーがいる、との事でちょうど今月、ドイツとイギリスへ行きますからパリにも足を運ぶ方向で話が進んでいます。正直、フランスに関する知識は余りないので分からない事だらけですが出国までの間、しばし色々と調べて行きたいと思います。
 動画についてはざっと見ただけなので改めてしっかりと見たら、詳しい感想を書きたいと思います。余り曖昧では感想も浮かびませんし、申し訳ないですがしばらくお持ちくだされば幸いです。

>狐耳君
 昨日はスカイプの最中に寝落ちして失礼しました、気が付いたら日付が変わっていて唖然としたものです。またやり取りしましょう。
 旅行に関しては取り敢えず何とかその時を見つつですね、北陸に関しては今回は高速バスで入る事、また小松空港の近隣を巡る事にしたのでまずまずではいけるかと思いますが宮崎に関しては・・・これはもう正に神のみぞ知る、と言う所でしょうか。何はともあれ気をつけて行きたいと思います。
 狐神楽の方については矢張り、1年間やって来て道筋がつけた、と言う事なので次にお会いした時に狐丸さんから聞いてみると良いかなと思います。自分としては納得するものでしたし、だからこそ鳴物役としてしっかり役目を果たしていきたいものでした。
 パリ支部の面々とお会いする話については、どうやら会えそうなのでベルリン〜パリの往復航空券を購入しました。往復で1名辺り1万円ちょいと安価に済んだのは幸いなところでした。

 捕食いわゆるVoreですね。Voreされた結果、飲み込んだドラゴンの部位が体に付くというのは確かに面白いと思います。体内と胎内がどうつながっているのかと言うのは様々な解釈がありますが、自分としては元の体自体は溶けるものの、魂か何かが胎内に移り新たな肉体に宿って外に出て来るのではないか、そう思えるものです。
 道筋に関しては確かに要りますが過度にこだわりすぎるのも弱るところ、その辺りのバランスを踏まえて考えていきたいですね。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は1枚目は中央通り交差点を秋葉原駅側より撮影、2枚目は路上に置かれていた秋葉原協定の抜粋、3枚目は歩行者天国開催中の中央通り、4枚目は中央通の脇に設置されていた歩行者天国運営ブース、以上は2011年1月30日撮影。5枚目は2007年5月13日撮影の歩行者天国開催中の中央通交差点、お神輿は神田明神祭典のもの。
posted by 冬風 狐 at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

【拍手返信】前橋・旧麻屋百貨店の今

 どうも一昨日に続いて昨日も早朝から秩父鉄道の写真を撮っていた狐です。
 最もお目当ての1000形こと国鉄101系関西線色編成だけは一向に現れず、終いはふとその場で知り合った人と雑談をしていたら八高線を逃し、1時間以上待つ羽目になったのですが今日は昨日と違って1日空いていましたので特に問題ではありませんでした。
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 そんな具合で乗り込んだ八高線で高崎へと戻り、そのまま両毛線に乗り換えて前橋に。駅前に出るとちょうど前橋市のコミュニティバス「マイバス」の社会実験路線が来たのでそれに乗り込み本町まで移動、そして前橋中央銀座へ入り向かったのは旧麻屋百貨店の建物でした。

 これについては以前にも取り上げた( http://fuyukaze.seesaa.net/article/173250460.html )通り、昨年12月初頭に上毛新聞の報道により解体される事が公となり、その後も新聞を見ていますと投書欄等で解体に対して否定的な読者の声が掲載されていたものでしたが、12月より始まった解体工事は進行し、いよいよ今月17日に解体が始まった旨の記事が矢張り上毛新聞にカラー写真と共に掲載されたものでした。
 以来、見に行ってみなくてはと思っていたのですが中々行けず、結局は12日が経過した今日、ようやく足を運べた次第でした。
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 既に道路に面する側は防音幕や足場に囲まれており全く見えなくなっていましたが、裏へと回ると解体している現場がはっきりと見えます。既に中の部分は殆ど解体されているので西側以外の外郭だけが残されている、そう言う具合になっています。
 最もまだ一部の天井等は残っていますので、わずかですが解体前の様子を偲ぶ事は出来たでしょう。なお本日は土曜日でしたが解体工事は行われており、作業員の出入りも見られました。なお戦前の建築らしく、鉄筋は節のある異形鉄筋ではない丸い鉄筋が使われています。
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 皮肉な事にこうして建物中心部が解体された事で屋上の一部が見渡せる様になっていました。少し移動して眺めますとふと気になるものが。それはそう鳥居です、恐らくコンクリートか石で作られていると思しき靖国鳥居が屋上の一角に姿を現しており、その隣にあった屋上部分の構造物が半ばは解されてもなお、まるでそれは何かに護られているかの様に毅然としている姿が印象的です。
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 また鳥居の奥には草や枝の姿があるのでその奥にはそれ等に囲まれる様に何らかの社があるもの、と推測されます。しかしこの位置からではまだ壁が邪魔していて見通せないので、何とかして見えないものかと考えた結果近くのビルの屋上から見えるのではないかと思い立ちます。
 幸い、見渡すまでもなくほんの少しはなれたところにスズラン前橋店があります。そこの屋上からなら恐らく見えるだろう、と踏んで立寄ってみると新館の方は施錠されていて入れませんでしたが、本館の方は立ち入る事が出来たので北側の柵越しにのぞいて見るとなるほど、確かに旧麻屋の屋上が一望出来、鳥居の姿もはっきりと見えます。
 しかしどの様な社があるかは見通せませんでした。それは防音幕に遮られている為で恐らく、スズラン新館の屋上であればより近くにありますので見えた事でしょう。しかしそちらは立ち入れませんし、他に立ち入ることの可能なビルは見当たらなかったのでこれが限界、となるでしょう。
P1290286.JPG
 それでもその一角には植物が生えている事が分かりますし、しっかりとお祭りされるべく整えられていた当時の姿が何とも偲ばれます。ちなみにスズラン本館の屋上にも神社があり、小石神社と言う名前である様です。
P1290292.JPG
 
 そんな発見もあった旧麻屋百貨店ですが、この調子で行くと2月の半ばまでには姿を消してしまうのでしょう。
 この2月は初っ端から最後まで色々とあちらこちらを動き回るので、その最後の姿まで見届ける事は出来ないと思います。とは言えこうして、最期だけではありましたがそれをみる事が出来たのは幸いでしたし、こうなった以上は心からお疲れ様、と言いたくなりません。
 なお旧麻屋と道路を挟んである写真館の窓ガラスに解体工事の一部始終の写真が貼られていました、もし見に行かれる方はそちらにも注目してみると良いかと思います。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 図書館の奥に行くと結構こういう美味しい資料があるので、立ち入ってしまうと夢中になっていて平気で3時間とか居座ってしまう時もありますね。山梨県編については今進めていますが、意外と薄く群馬ほど濃く取り上げるのは難しそうです。
 狐面については色々とありますが、自分のしているのは基本的に祭囃子なのである程度の派手さや色彩があって良いかな、と思っています。取り敢えず今後も何かあれば手を加えていくかもしれません。
 有袋類をアイデアとしたTFネタは可能性がいろいろとあるので、支離滅裂になりがちなのかもしれません。個人的には完全にそれを応用するのではなくてある程度アレンジを加えても良いと思います、一旦外に出て袋に入るまでの間に、誰が親なのかを認識する、そう言う設定にするのも良いかもしれませんね。
 海外には行きますが2月の半ば以降なので初午の時はぎりぎり国内にいます、当初はその辺りから出国しようかと考えていたので今となっては遅らせてベストであったと思います。
 
 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は全て2011年1月30日撮影、1枚目は秩父鉄道寄居駅にて、2枚目は前橋駅前にてマイバスの社会実験路線車両、3〜9枚目は解体中の旧麻屋百貨店を間近から、10枚目はスズラン前橋店屋上より旧麻屋百貨店屋上を、そして11枚目はスズラン前橋店屋上の小石神社となります。
posted by 冬風 狐 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月02日

【拍手返信】高崎中心街のam/pm

 どうも初めてファミマとの合併後に閉店したam/pm、その撤去作業を見かけた狐です。
 以前から高崎中心街にある鞘町には比較的小さなam/pmが1店舗ありまして、たまに利用する等していたのですが、すぐそこにあるファミマだとTポイントがたまる事もあり、カードを作ってからはそちらを利用していました。
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 それでも時たま使ってはいたので、ファミマとam/pmの合併後は果たしてこの店舗は残るのだろうか、と見かける度に浮かべてしまったものでした。それでも特に閉まる様な気配はなく、また金町駅前で見た様にかつてam/pmであった店舗がファミマに転換され、10メートルも無い距離で元々あったファミマと並ぶ、そう言う光景を見かけた事から、意外とこのam/pmも残るのではないか、と勝手な予想をしていたものです。
 とは言えここは高崎。例に挙げた金町駅前とは異なり群馬最大の都市とは言え、その人の流れと言うのは歴然としています。
 このam/pm高崎鞘町店の立地するのは高崎の中心市街地の一角ではあるのですが、スズラン等がある人通りの多い界隈から更に1ブロック北にある地点。その地区には中央銀座と言う、恐らく高崎唯一の巨大アーケード街があるものの、今では商店街として機能しているのかもどこか疑わしいほど荒廃しており、昼間でも人通りは疎らです。
 am/pm自体はその中央銀座の中にあった訳ではありません。しかし共に位置している地区は同じであり、高崎駅から最も遠い対称の位置でもありました。その地区の求心力となっていた中央銀座があの状態ですから、駐車場の無い、街を行き交う人をターゲットとする形態でのコンビニ運営は、最早店舗の努力で対応出来るレベルではなかったのだろう、と思います。
 そう言う意味では中々、運営にあたり苦労があったのではないか、と改めて浮かばずにはいられません。だからこそ撤去作業の中に貼られていた店主の方が書かれたと思しき、手書きの閉店の辞、それは「皆さん ありがとう さよーならー お元気で」と言うものでしたが、それが地味に心に染みて来ます。
 これで高崎の中心街に唯一あったam/pmは無くなってしまいましたが、高崎市内には2店舗、群馬県全体では10店舗、今日現在でまだam/pmが営業を続けています。これ等の店舗が今後どうなっていくのかは気になるところですし、どこかで見かけたら立寄ってみようか、そう浮かんでしまったものでした。

 それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
 経験値のシステムは以前からレベルや相性で確率が変わるものでしたし、基本的には余り変わりは無いかな、と言う気がします。取り敢えずする時間が中々確保出来ないのが残念なものです。
 個人的にはそこまで血眼になって経験値稼ぐ必要もないと思うので、余りタブンネ狩りとかそう言う発想には至りませんね。のんびりと楽しみたいと思います。
 溶けたバニプッチ、バニリッチと混ぜられてバイバニラになるのはアリだと思います。逆に言うとそれしかないかもしれないので拡張性に乏しいのが残念な点かもしれません、あるとすればふざけて飲んでみたら、等でしょうか。
 自分もポケモンに関しては余り選別するとかそう言う発想が、そもそも無いのでボックス入れっぱなし等になってしまいますが1匹捕まえたら大抵は満足してしまいますね。タブンネにTFして、自分のポケモンと対戦する・・・確かにありかもしれません、究極の自主練と言う意味合いになりそうですね。
 「娘の決断」については後ほど、補完するかもしれません。やや推敲していた時に切り過ぎてしまった所があるので、ベルパパの今後と共に描く可能性を考えています。基本的にこの手の小説は二次創作ですから、全てがパラレルワールド、そう見て良いかと思います。
 12月になり、ポケモンも確かに冬・・・ようやく季節が一致したそう言う感じがします。観覧車イベントは本当誰得なのだろう、と改めて苦笑してしまいますね。
 うごメモは拝見しました、今回は地味に重いテーマが多いですね。意思疎通については色々と考えられますが、動画の様になるか、あるいは人であったときに愛用していたものとかを持ってきて懸命にアピールするとか、そう言うのもありかと感じます。

 それでは今回も拍手ありがとうございました。
 写真は2010年11月30日撮影。
posted by 冬風 狐 at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・時事・民俗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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