矢張りここ数日の暑さを前にしてはシャツも長袖ですと、かなりオーバーヒート気味になってしまいこれはよろしくありませんでしたので、東京へ先日行きました際に立ち寄った店でちょうどセール品があり、悪くないデザインだったので購入した次第でした。
取り敢えずはこれで昼間の対策は出来たので、次は夜勤の際の暑さ対策もせねばと思ったり。夜だからそんな事は、と思われるかもしれませんが長袖の制服の下に矢張り長袖シャツで色々と動き回っていますと、意外と暑く汗も地味にかいてしまうものですから、こちらも半袖シャツを導入して10月辺りまで乗り切ろうか、と思えたものでした。
さて先ほど「東京メトロと都営地下鉄、統合へ」なる記事( http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4168389.html )を見かけました。
両社局の統合と言う話自体は以前からありましたし、それ自体にはそう驚きを感じる事はありませんでした。と言う訳でここでは、そもそもどうして営団(現 東京メトロ)地下鉄と都営地下鉄が並存する形になったのか?と言うその歴史的経緯をたどり、そして気になった事柄に触れてみようかと思います。
営団地下鉄と言う組織は、1941年に帝都高速度交通営団法(営団法)に基づいて国と東京市、そして私鉄各社の出資により設立された営団、即ち経営財団と言う事が出来ます。経営財団と言うのは聞き慣れない言葉ですが、主に戦時中に多数設立された民間出資のある特殊法人であり、その唯一の生き残りが営団地下鉄であった、と理解すれば良いでしょう。
そしてその営団法において、以後の東京都東京市内における地下高速鉄道(地下鉄)の建設は、営団地下鉄によるものとする旨の規定が存在していました。これにより設立から2ヵ月後には当時都内に唯一存在していた地下鉄が営団の管理下におかれました。
これが今の銀座線となり、それを運営していた東京地下鉄道(浅草〜新橋・独立系)、東京高速鉄道(新橋〜銀座・東横(東急)系)より路線を買い上げられたのです。そして同時に丸ノ内線の建設に関する調査も始められる等、名実共に東京市内における地下鉄の建設運営を独占する事業者、となっていたのでした。
とは言え戦後になりますと東京市の跡を継いだ東京都が独自の地下鉄建設と保有を、営団の解体とも絡めて要求する様になりました。これは戦前に東京市も免許を保有し、それを営団の成立と共に移譲していた事、また大阪市と同様に旧東京市街における地下鉄を含めた公共交通網を一元的に管理したいと言う考え故の事でした。
しかしこれについては50年代後半まで拒否され続けます。一説には戦前に東京市が地下鉄免許を巡って、色々と迷走をし、それを記憶していた鉄道省の後継である運輸省の心証を害していたから、と言うのもありますがとにかくは前出の営団法の規定を盾として認められなかった訳です。
しかし朝鮮特需も受けた経済の回復による通勤需要の回復と伸張、また戦後は営団から資本排除されていた私鉄各社が、それぞれ独自に都内へ地下鉄を敷く動きを見せた事もあり、営団だけでは必要とされる路線を建設しきれないと判断された事でようやく、当時営団が所有していた免許の一部が東京都に移譲されて、都営地下鉄の成立に至ったのでした。
そうして1960年に開業した1号線、つまり浅草線から都営地下鉄の歴史が始まり、以後は営団と都営の2社局によって整備が進められ、世界有数の規模を誇る地下鉄網が整備されてきたのです。
つまり都営地下鉄と言う存在は営団地下鉄では不足する部分を補うべく、都からの度重なる要求があったとは言え、一種の代打として生まれた存在でありますから統合自体は全くおかしな話ではありません。
何よりも営団地下鉄を引き継いだ東京メトロは副都心線に関連して、これを以って最後の地下鉄新線とすると明言したものです。また都営地下鉄にしても大江戸線の光ヶ丘より大泉学園方面への延伸構想等はありますが、あくまでも構想であり具体的な新路線の話はすっかりなくなっています。
そう言う整備促進と言う面から考えると、矢張り2社局が並存する時代は終わった、と言えるのでしょう。
個人的には都営地下鉄の雰囲気に、ふと惹かれる物を感じてしまう事があります。だからこそ統合となるとその空気が消える事になり、そう言う点では残念に思えてしまいますが、営団と都営を乗り継ぐ際の運賃の合算による割高感の解消や、乗換の際の利便性の向上等が期待出来るのでそう言う点からは賛成なものです。
また上記記事の末尾には運賃に付いて触れている一文がありますが、都営地下鉄の大江戸線等の建設費が償還途中であるのを考えると、仮に統合されたとしても、そのまますんなりと現在のメトロの運賃が導入されるかは疑問なところです。
恐らく償還完了まで少額の加算運賃、あるいは都営線の運賃形態がそのまま残される可能性も否定出来ないと思います。前者の場合ですと京阪の鴨東線や相鉄いずみ野線で行われておりますし、後者は破綻した千葉急行電鉄の路線を引き継いだ京成千原線にて実際に行われているやり方です。
ただ営団ないしメトロ自身が開業させた副都心線や半蔵門線水天宮前〜押上間にて、その様な設定がされていない事を踏まえると、ここは素直に統一される可能性もまた高いのでしょう。しかし一気に4路線、約100キロもの路線が組み込まれる訳ですから、前例にない規模であるのには変わりありません。
よって何れの場合にしても、これまでの新路線が開業する度に安い運賃が行ける範囲が増える、と言う法則の発動と絡めて、どうなっていくのかと大いに気になってしまうのでした。
写真は1枚目は08年9月20日に国会議事堂前駅にて、東京地下鉄株式会社のシールの下より帝都高速度交通営団の字が浮き上がっています。2枚目は今年5月31日に東銀座駅の構内案内図に描かれていた浅草線初代都営車、3枚目は同日都営新宿線10-200車内の銘板、最後は今年3月30日に神保町駅にてそれぞれ撮影。

