そんな訳で目下、締め切りが迫っている書き物を2つ仕上げなくてはならないのですがついつい、もう少し余裕のある方を先にしてしまい、やってしまったなぁと思いつつ少しはマシになった体調に安堵したり。
何せ今朝は軽く吐き気を伴った強い頭痛に見舞われていまして、ろくに何かをする事も出来ない有様でしたから。それと比べると妙に胃が、恐らく食費がない故の空腹でしょうがむかむかする感じなぞかわいいもの、そしてこう言う日は色々と余計に浮かんでしまうものなのでした。
12月も10日と3分の1が経過しまして、もう色々と来年の事を中心に考えざるを得ない訳ですが、以前にも取上げたものですが年初に再び欧州へと行って参ります。
思えば1年前の今頃は初めて行く海外、それもかねてから行きたくて仕方の無かったベルリンへ行く、と言う事で色々と準備をしたり気持ちが先走ったりする等していた訳ですが、改めて思いますともっと早くに行っておけば良かったと思えてなりません。
それは自分の行きたいと言う欲求が満たされた、叶えられた以上に英語がどれだけ通用するのか、と言う事を我が身を以って知る事が出来たからでしょう。少なくともトランジットしたヒースロー空港は英国ですからそもそも当然ですが、ベルリンであれだけ普通に英語が通用するとは。
少なくともそれは日本語だけで事足りるこの国の感覚=1国には1つの言語、外国語はあくまでも外国語と言う感覚に浸りきっていた身としては、ドイツ語と言う現地の言葉とほぼ同等に、少なくともベルリン市街地や鉄道駅では英語が通用する現実は衝撃な物でした。
また9月に行きましたソウルでもベルリンと比較すれば通じませんが、それでも時には英語でやり取りする一幕もあったのを考えれば、正に国際語と言うのを身を以って知れた訳です。そして同時に日本だと、英語で話しかけられた途端、大抵の場合愛想笑いして逃げるとか、その程度だろうと浮かんでしまったものでした。
よって小学校で英語教育に関する予算を付けるか付けないかで揉めているこの国のレベルと言うのは、科学技術への予算云々以前に既に立ち遅れている、取り残されているとも言える訳でそのブランクとは相当なものでしょう。
自分自身、英語教育の最初の段階にて担当教員とウマがあわず、英語嫌いになり一時期は学問として英語に触れるだけで、胃が痛く、また軽い震えすら催すと言う致命的な状態に陥っていました。
それ等は前述した経験が一種のショック療法となり大いに解消され、目下半ば独学で英語をやり直しつつありますがこのおよそ10年間を本当に無駄にしたものだと、そして取り戻す為の労力を考えると改めて悔いてしまうところです。
最も自分の場合はあくまでも個人であり、1つの意思によってどうとでもなるのですから何かをきっかけとして変えようとするのは、労苦を伴うとは言え不可能な話ではありません。しかしながら国となりますとある程度の意思のまとまりがなくては1つの方向に動かす事は、少なくとも議会制民主主義国家である以上、不可能な事です。
幸いにも代議士によって構成される議会が、国民の手による選挙を経て選出されている事から民意を反映した国権の最高機関として認識されています。そして機能するからこそ、その点は全国民の意思を一々確認して回るのと比較すれば大いに容易ではあり、効率的なシステムであります。
しかしながらその議会が混乱、あるいは独り善がりに陥った場合に歯止めを、名目としては国民がかけられる訳ですが現実ではかけられないと言うのもこのシステムが持つ欠陥であり、少なくとも社民党・国民新党と言う少数政党によって振り回されている民主党政権は、現時点では果たして民意を反映しているのか?と考えると甚だ疑問です。
確かに先の衆院選にて民主が第一党になった事は事実ですし、第一党が政権を握るのがルールなのですからその点に疑問の余地は全くありません。
しかしながら今、キャスティングボードを握っていると言えばまだ聞こえは良いですが、要は自分達のしたい方向に事を進ませようとしているとしか見えない社民・国民新は、連立を組んでいるからこそそう言う芸当が可能な訳ですが、その得票数と議席数は民主党と比べれば本当にわずかなもので、多くの民意の支持を得た政党とは決して言えません。
そう言う点では少数政党の存在用件や連立の要件等はもっと厳格に定義されるべき・・・と、色々と話が膨らんでしまう訳ですが、自分自身の経験と重ねて見るとこの国は今だに、高度経済成長そしてバブルの甘い記憶から抜け切れていないと言う事でしょう。
自分が英語嫌いになっていたのは前述した様に、最初の段階で教師とウマがあわなかったから、となりますが同時にどこか実力以上に自分は出来る、そしてそれは何時までも不変である、と思い込んでいたからと言うのは否定出来ません。
日本は今のところは世界第二位の経済大国であり、また科学技術やサブカルチャーと言った分野では世界的にも先端レベルにあると言えるかと思います。しかしながらそれは最初から持っていた訳ではありません。
戦後60年間の歩み、更に進めれば戦中、戦前、そして江戸時代と言う時間の積み重ねの中で、人々が努力してきた結果であると言えるのです。故に維持する努力、伸ばす努力をやめれば一定の期間は保ててもしばらくすれば崩壊する事でしょう。
その様な素地があったからそうなった、と言う声も聞こえて来そうではありますが素地があったとしても、それを生かす為に努めなければ単なる宝の持ち腐れと言うものであります。だからこそ日本が今後もその地位を活かして生きたいのならば、その為に努めなければなりませんしまた内が縮小するなら外に膨張して自身と共に実力を付けて行かねばならないのです。
少なくとも自分はそう考えます。
英語の話に立ち返れば自分の英語力はまだろくに使えるものではありませんし、基礎レベルを反復している様な段階です。しかしながら何も手を付けずに、ただどうして出来ないのかと迷っていた時期、あるいは手を付けたくとも心の中にある拒否反応で手が付けられず苦しんでいた時期と比べると、大いに精神的な安定を得る事が出来たと言えましょう。
身の丈以上の事をするのは確かに楽しいものですし、どこかしら自分が大きくなった様に感じられます。しかしながら同時に大きな負担となる事も自覚しなければなりません、そして同時にそれは努力次第では身の丈にあったものになり、更なる高みを目指すことが出来る、と言うのもまた事実です。そして捨てなければならない物も当然あります。
そう言う点では今の日本はまだ整理、今の自らの実力と言うのを把握していないか、把握していても直視出来ないで何とか誤魔化そうとしてちぐはぐになっている様にしか思えません。だからこそ大丈夫なのか、と思えてしまうと共にふとかつての自分、若しかするとこう書いている自分も完全には脱し切れていないのかもしれませんが、兎角被ってしまい何とも居心地が悪いのでした。
それでは拍手返信と致しましょう。
>hiroさん
擬人化は確かにその3パターンに分類出来、その最後の「擬人化も出来、原型にもなれる」と言うのはTFネタその物でありますから、そう言う小説の題材とするには最適でしょう。最も最初にあった「最初からポケモンが人の姿をしている」と言うパターンも、またネタとしての要素はあるかと思えますのでどれも悪くないと感じたものでした。
公共交通に限らず、物事には何でも特性だとかそう言うものがありますから1つに偏る事無く、その時に応じて臨機応変に使い分けるのが最終的には利益になると思えるものです。
小説に付いては意外なところからネタは出て来るものですから、矢張りそこが面白いと言えましょう。なお湯たんぽに付いては元々その部屋にあったものであり、熱が宿るには最適な道具でありますから、一種のヨリシロとなった、と理解して下されば良いかと思います。
ブイズはイーブイと進化後はもとより、進化後のブイズ同士でも結構大きさに違いがあるのが面白いものです。少なくともリーフィアは一緒に昼寝するにはちょうど良いサイズでしょう、新鮮な空気も出してくれるので一石二鳥・・・と言う具合ゆえに。
それでは今回も拍手ありがとうございました。
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